「消費者の世界」と「プレイヤーの世界」
↑コンテンツの世界には「消費者の世界」と「プレイヤーの世界」があると思った。アニメ/マンガ/小説/映画は前者、(e)スポーツは後者。音楽はその中間。「消費者の世界」ではクリエイターが1番エラく、「プレイヤーの世界」ではプレイヤーが1番エラい。
両者のちがいは消費者の作品への介入度だ。
「消費者の世界」のコンテンツはそれ単体で完結している。作品を産み出したのはクリエイターであり、読者/視聴者の役割は受動的にそれを消費するだけだ。ゆえにこの世界では圧倒的にクリエイターが1番「エラい」ことは論を待たない。
これに対して格ゲーやFPS等eスポーツのタイトルは、消費者がプレイヤーとして作品に参加する前提で作られている。プレイヤーがいなくては作品は完成しない。ゆえにこの世界での消費者=プレイヤーは、もはやクリエイターの一員といえるほどに「エラい」。
「プレイヤーの世界」においてトッププレイヤーはクリエイターと同じかそれ以上に人気があり尊敬を集め注目される。ストリートファイター6の産みの親である松本脩平氏や中山貴之氏と同じかそれ以上に、ウメハラを始めとするトッププレイヤーたちがスト6界へ貢献していることは自明だろう。eスポーツにおけるクリエイターは、むしろプレイヤーをお膳立てする舞台を整えるための裏方であるといっても過言ではない。
野球やサッカー、囲碁将棋等の伝統的スポーツに至っては、クリエイターそのものがもはや存在しない*1。ゆえにこの界隈においてプレイヤーは圧倒的かつ絶対的なヒーローだ。監督?解説者?批評家?いやいやいやいやいや。
「消費者の世界」で「プレイヤー」をやるという、コスプレの特異性
kamen-rider.info
↑昨今ネット界隈を騒がせているコスプレイヤー鹿乃つの氏の炎上は、このふたつの世界の文化的衝突として解釈することができる。
鹿乃氏がコスプレしたマルシルというキャラクターは、アニメマンガという「消費者の世界」の産物だ。この世界においてクリエイターは唯一無二の絶対神である。消費者はただひたすら消費者でしかなく、クリエイターと同格を騙ろうとは傲慢も甚だしい。
ゆえにコスプレイヤーは嫌われる。特に目立ちたがり屋の「出過ぎた」コスプレイヤーは嫌われる。クリエイターを唯一神とする一神教の「消費者の世界」で、消費者という卑しい身分にも関わらず、クリエイターの一員である「プレイヤー」として振る舞おうとするからだ*2。鹿乃つの氏を批判する「消費者の世界」の住民たちは、つまるところこう言いたいのである。
"コスプレイヤー"?贅沢な名だね。今からおまえの名前は"消費者"だ。いいかい、"消費者"だよ。わかったら返事をするんだ、"消費者"!
クリエイターを一神教とする「消費者の世界」と、消費者もまたクリエイターの一員として作品に参加する「プレイヤーの世界」。優劣も善悪もつけるつもりはないが、このような補助線を引くことで今回の鹿乃つの氏の炎上から見えてくるものがあるのではないかと思ったのでここに書き留めておくことにする。
【余談】音楽はその中間
冒頭で私は「音楽はその中間」と書いたが、これはそのまんまの意味である。音楽においてクリエイターとプレイヤーの「どちらがエラいのか」は曖昧だ。
クリエイターが作曲する。プレイヤーがパフォーマンスする。そのどちらもが存在しなくてはアイドルもバンドも成立しない。どんな名曲も名演奏家/名歌唱家がいなくては台無しだ。ゆえに両者のパワーバランスは拮抗している。音楽の世界にも作曲家作詞家といったクリエイターは存在し、ゼロからイチを産み出す作品の源泉であることは確かだが、それは「消費者の世界」のような絶対的権力をもつ「唯一神」ではない*3。
そうした文化的土壌があるからこそ、音楽業界は他のコンテンツ業界に比べ権利関係に甘くパクリに寛容なのだろう。「サンプリング」などと呼び、パクリを正当化する文化が成立しているのだろう。DJやコピーバンドのようなプレイヤー文化が許容されているのだろう。
ちなみに音楽界隈における純然たる消費者である「リスナー」は、ここでも圧倒的に全然エラくない。