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ステロタイプ抜き偏見抜きのコミュニケーション。そんなもの本音では誰も望んでいない。たとえそれが差別の元凶だとしても。

ステロタイプ、それはすべての差別の元凶

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なぜ身長170cm以下の男は人権がないのか――「KKO」「かわいそうランキング」「ガラスの地下室」と共感の問題 - 晶文社スクラップブック

本連載は、「弱者男性」などの議論を追うことで、通俗的な「男性性」が想定する一枚岩的な男性観や本質主義は間違いであり、多様であることを示してきたが、究極的には、男女ともに個や現実・事実に即していない「リアリティ」は全て改められるべきであろう。

人間の認知には限界があることも承知で理想を言えば、個々の複雑さや多様さそれ自体を注視し、「男性/女性」のような粗雑な二項対立で物事を理解すること自体を辞めるべきである。

本来多様な個人が「男性」「女性」と属性化される事でステロタイプに押し込まれてしまうという、↑の記事の話。ジェンダーに限らないすべての差別の本質だと思うし、可能な限り他者を個人として見るよう私も心がけているけれど。

想像以上に人は他者を属性として扱いたがっているし、自分のことを属性として扱われたがっているとよく感じてしまう。非常に困ったことに。


本音では誰も『人間扱い』など望んでいない

「私をモノ(属性)扱いするな。人間(個人)として扱って欲しい」こう主張する人間は多い。けれどもそれじゃああなたは他者に自分の個別性を伝える努力はしているのですか?そう、私は聞いてみたくなる。

自分は何者なのか?なにを望みなにを嫌悪するのか?こうした情報を自ら発信しなくては、周囲はあなたを個人として扱うことは不可能だ。なぜならそうしないとステロタイプを超えたあなたの個別性を他者は認識できないから。その努力もせずモノ(属性)ではなく人間(個人)として扱って欲しいとか、それは無理だし傲慢というものですよと私は思う。


例えばあなたが同性愛者だったとして、何も主張しなければ新しい知人はあなたのことを異性愛者として扱い始めるだろう。なぜならそれがマジョリティだから。最も当てはまる可能性が高いステロタイプだから。

ステロタイプはコミュニケーションコストを下げる。ほとんどの場合ステロタイプでコミュニケーションは上手く回る。だからマジョリティは他者をステロタイプで判断しようとする。

無論これは、モノ(属性)として他者を扱い人間(個人)として見ていない行為である。とはいえお互いが相手に関する情報をなにも持っていないコミュニケーションの初手では、この振舞いは理にかなっている。

初対面の相手に「あなたは同性愛者ですか?異性愛者ですか?」そんなやり取りをゼロから始めるなんて、ものすごく面倒くさい*1。そもそも相手だってそんなセンシティブな話題に触れてほしくないかも知れない。自己開示による責任も発生する。そんなことしなくても、ほとんどの場合ステロタイプでコミュニケーションは上手く回る。だから何も言わずとも「なんか適当にいい感じ」に自分を扱って欲しい。ほとんどすべての人間はそう望む。だってそれが「常識」でしょ?


だから人は、他者をステロタイプで見たがるし、自分をステロタイプで判断されたがる。でもこれは別の角度から見ると、他者から不本意ステロタイプで扱われても文句をいえない態度なんだよね。

「他者を属性ではなく個人として見る」とは、こうしたステロタイプを捨てすべてをゼロから互いに個別に確認し築き上げていく作業に他ならない。あなたの個別性は、あなたが自ら発信しない限り誰にもわからない。自分は何者なのか何を望んでいるのか。そうした事をゼロから互いに伝え合う必要がある。それが真に「他者を属性として見ないコミュニケーション」だ。

でもそんなステロタイプ抜きの面倒くさいコミュニケーション、本音をいえば誰もやりたがっちゃいない。ステロタイプとしての他者と、なんか適当にいい感じのコミュニケーションを築きたい。誰もがみんなそう願っている。


「私をモノ(属性)扱いするな。人間(個人)として扱って欲しい」こう主張する人間は多い。けれどもそれじゃああなたは他者に自分の個別性を伝える努力はしているのですか?そう、私は問いたくなる。

本音では誰も「人間扱い」などされたくないのである。属性としての自分と属性としての他者のあいだで、適当にいい感じのコミュニケーションを築きたいのである。「自分にとって都合がいい」という但し書き付きで。


ステロタイプの暴力は、マイノリティだけに襲い掛かる

ここまで書いてきたように、ステロタイプはとても有用で魅力的だ。ステロタイプはコミュニケーションコストを下げる。ほとんどの場合ステロタイプでコミュニケーションは上手く回る。だから誰もが他者をステロタイプで判断しようとする。ステロタイプに押し込めようと、押し込められようとする。

すると困るのはマイノリティだ。マジョリティはステロタイプで扱われてもなにも困ることはない。なぜならそれが「ほんとうの自分」と合致しているからだ。

けれどもマイノリティはちがう。同性愛者であるこの私が、おまえのような異性愛者から性的視線を送られるなどいい迷惑だ。しかし相手に悪気はない。だってそれが「常識」だから。同性愛者は迷惑を退けるために、止むを得ずしたくもない反論を強いられる。カミングアウトを強いられる。「ごめん、俺はゲイだから君の気持ちに応えることはできないんだ」。差別がはじまる。


ステロタイプはマジョリティにとっては便利なコミュニケーションの道具だが、マイノリティにとっては暴力だ。マイノリティはステロタイプを訂正するために、いつも割り高なコミュニケーションコストを支払うことを強いられる。ましてやそのマイノリティ属性がスティグマ性の強いものであれば、差別を覚悟しカミングアウトするか不本意な扱いを許容するか、う〇こ味のカレーをも上回る最悪の2択を迫られる。自らについてなんら説明する必要がないことは、マジョリティの特権なのだ。

これこそがステロタイプ問題の本質である。ステロタイプが差別に直結する理由である。だからリベラルは個人主義的人権観に基づき「他者をモノ(属性)として扱うな」と口を酸っぱくして繰り返すし、それはとても正しい言葉でもある。


けれどその「正しさ」は、「差別撲滅という目的における」正しさだ。


初対面の相手に「あなたは同性愛者ですか?異性愛者ですか?」そんなやり取りをゼロから始めるなんて、ものすごく面倒くさい。そもそも相手だってそんなセンシティブな話題に触れてほしくないかも知れない。自己開示による責任も発生する。そんなことしなくても、ほとんどの場合ステロタイプでコミュニケーションは上手く回る。だから何も言わずとも「なんか適当にいい感じ」に自分を扱って欲しい。ほとんどすべての人間はそう望む*2。だってそれが「常識」でしょ?

だから差別は終わらない。ステロタイプで他者を見ることは、コミュニケーションのコスパという点で圧倒的に理に適った「正しさ」だ。それが時にいくばくかのマイノリティを生贄として必要とし、差別を生み出す元凶になっていると理解していても、それを帳消しとしたくなるほどに。


「あなたは同性愛者ですか?異性愛者ですか?」そんな面倒くさいやり取りを毎回ゼロから始めるようなコミュニケーション。自分は何者なのか何を望んでいるのかすべてを逐一互いに伝え合い、ステロタイプを捨てゼロから個別に確認し築き上げていく「他者を属性として見ない」ASD的コミュニケーション*3

そんなコミュニケーションをすべての人々が望み実践したとき差別は終わる。無論、そんな「とき」は未来永劫おとずれないのだけれど。

*1:昨今の企業/国家が実施するアンケートのジェンダー記載欄に男女以外の選択肢が登場しているのは、まさにこの効率より人権を優先し実践する試みである。

*2:この欲望自体はマジョリティもマイノリティも変わらない。しかしマイノリティは先述したようにこの欲望から疎外されている。それが差別として機能する。

*3:人間の心がわからず察することができないゆえに、すべてを逐一確認しようとするASD。そのASDこそが皮肉にもその特性ゆえ「最も他者を人間として扱っている」のである!




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