<法内>の言葉と日常、<法外>の身体(性愛)と祝祭
『どうすれば愛しあえるの』(宮台真司x二村ヒトシ)を読んだ。この本でひたすら繰り返し語られること。それは<性愛>は<法外>に位置するものであり、<法内>の<社会>の論理とは絶対に折り合わない存在であるということだ。
・法内の存在 - 社会/日常/ケ/言葉/交換/損得勘定
・法外の存在 - 世界/祝祭/ハレ/身体(性愛)/贈与/愛(情熱)
宮台真司によれば人間はそもそも法外の存在であり、私たちがいま生活する法に照らされた社会というものは、大規模定住生活がはじまった約3000年前、ダンバー数(約150人)を超えた人間を統治するために法が発明されて以来の歴史しかないものだという。法を可能にした言葉の発明が5万年前。人類の誕生が50万年前。人類の歴史のほとんどは言葉も法も持たない<法外>の世界の中にあったのである。
ゆえに現代社会を生きる私たち人間は<法内>の社会に最適化されていない。人間の本質は<法外>の世界にある。しかし私たち現代人はこの巨大化した法社会から有形無形様々な恩寵を受け取っており、もはや社会なしには生きられない。それゆえ私たちは<法内>の存在に「なりすまし」、適応したふりをして生きている。
「なりすまし」による社会適応。フランスの精神分析家ジャック・ラカンはこれを「倒錯」と呼んだ。社会のルールに過剰適応することが「神経症」。これとは逆の適応過小による狂いが「精神病」。
「倒錯」はこの中間。表では公然と<法内>の社会生活を営みながら、裏に自分とその仲間たちからなる<法外>の領域をもつ生き様。たとえば昼間は普通の会社員をやりながら、夜の街ではハプニングバーの常連としてハメを外す。本当の自分の軸足は夜の街にあり、昼間の顔はあくまで「なりすました」仮の姿。そんな生き方が「倒錯者」。この本で推奨される生き方だ。
この本によれば現代社会は法による統治が進みまくり、<法外>が衰退しすぎた社会だという。<法外>が人間本来の姿であることを忘れ、<法内>こそが真の姿だと勘違いした神経症者たちの群れ。それが現代人である。20代童貞率40%台等のデータに表れる昨今の性愛の衰退は、<法内>の拡大と<法外>の衰退が背景にある。スペックを見て損得勘定により合理的に行われる現代社会の「恋愛」は、もはや恋愛ではない。
この社会の流れは巨大であり最早とめる事は不可能だが、せめて<法外>の文化を密教的に伝えていくことが自分の使命であると宮台真司はこの本の中で語っている。
<法内>の損得と交換、<法外>の愛と贈与
<法外>の衰退により巻き起こること。それは「感情の劣化/幸せの減退」である。現代社会は損得勘定で回っているが、性愛をはじめとした<法外>の論理は損得では収まらない<過剰さ>を有する。損得もまたモチベーションではあるがそれは弱い。利害を超えた過剰な内発的モチベーション。損得抜きの過剰な欲望の発露。それが<法外>の「愛」だ。
この話を読んで私が思い浮かべたのは、以前書いた初期ニコニコ動画と現代のYouTubeのちがいの話だった。
初期ニコニコ動画を駆動させていたものは「内発的情熱と無償の贈与(愛)」、現代のYouTubeを駆動させているものは「損得勘定」。前者が後者にとって換わられてしまったことを私は↑の記事で嘆いたが、これはまさに宮台真司がいう<法外>/<法内>の話に対応する。
YouTubeにより配信者は経済的収入を得ることが可能となった。しかしその代償としてニコニコ動画から感じられたあの損得勘定抜きの贈与と過剰な創作への情熱*1は喪われ、「野生のプロ」は絶滅した。
<法外>の違法動画も撲滅された。しかしいけない事と知りながら<法外>を共有し仲間意識を醸成すること。その愉悦を当時ニコニコに集っていた「おまいら」が知らないとは言わせない。
いまよりも社会がはるかにゆるかった90年代。私は中学時代から酒を飲んでいたがそんなことは周囲の誰もがやっている当たり前のことだったし、大人たちも見て見ぬふりをしていた。このようなちょっとした悪事の共有。それを見て見ぬふりをする社会との<共犯関係>。そしてそこから発生する「社会」と「俺たち」の<仲間意識><所属意識>。これこそが重要だったのだ。<法内>など本当はクソであり<法外>こそが大切であること。私たちは誰もが<法内>に「なりすまし」ているだけの共犯仲間なのだという事実を、人々が忘れないために*2 。
「昭和的ちょっとした法からの逸脱とお目こぼしが大切だ」。このような主張を潔癖の行き届きまくった現代令和のネット社会で開陳すれば、即刻炎上火あぶりの刑に処される可能性は高いだろう*3。しかしその炎上こそが、現代社会が<法内>に過剰適応した神経症者の群れであるというこの本の主張を裏付けするものに他ならない。
私たちは<法外>の存在であり、社会適応とはあくまで「なりすまし」の仮の姿に過ぎない。その事実を忘れたときその事実を無視したとき、私たちの実存は虚無へと堕落する。合理的かも知れないが感情を忘れ幸せを忘れ、ただ生きているだけの無味乾燥な存在、「自動機械」へと。
とはいえ凡人は、「神経症者」として生きざるを得ないんよね…
…と、ここまで『どうすれば愛されるの』の主張を要約してみた。この本が指摘する「感情の劣化/幸せの減退」は今まさに起こっていることだと思うし、<法外>が避けられ過剰に<法内>に適応した結果として人々が性愛から撤退しているという指摘も事実だろう。合理的にコスパを考えれば、性愛なぞリスクの方が大きい。それを超えようと思ったら損得勘定を超えた「愛」が必要であり、性愛の醍醐味はそこにあるという指摘もまちがいではないだろう。
しかし「だからこそ」人々は健在進行形で性愛から撤退しているのである。自身を振り返ってみても友人知人を観察してみても、本気で恋愛中の人間というものは比喩ではなく「狂っている」。それは時に周囲との軋轢を産み社会不適応を発生させる、ラカンいうところの「精神病者」に他ならない狂いっぷりだ。
そうした<法内>との軋轢を経験し、多くの人々は「合理的恋愛」へと撤退してゆく。「狂気的恋愛」が社会不適応を起こしてしまうような社会こそが狂っているのだという主張がこの本であり、それはまちがいではないと思うのだが、人間は社会に適応しなくては生きられない。それゆえ「狂気的恋愛」を実践できる者は、非常に限られた数とならざるを得ないだろう。
多くの庶民は幸せよりもまずは生活を優先せざるを得ない。それを象徴する言葉が「恋愛と結婚はちがう」である。多くの庶民は恋人と生涯愛し合うために結婚するのではない。生活のために結婚する。結婚において損得勘定は恋愛感情に優先される。それこそが「感情の劣化」を招いているという本書の指摘には首肯する他ないが、それでも人間は生活しなくてはならない。生活のためには社会適応しなくてはならない。恋愛にかまけ狂っている暇などない。
思うに利害を含まない純粋な恋愛が可能なのは、「生活というウスノロ」を気にしなくていい特権的立場の人間だけなのだろう。古く中世西欧社会では恋愛は貴族階級だけに許された高等遊戯であったし、現代社会でも生活の心配をしなくてよい学生たちは、大人たちよりも利害にとらわれない自由な恋愛を謳歌しているように見える*4。
恋愛が損得にまみれてしまうのは、損得勘定で動く法社会の中に結婚という形で恋愛が組み込まれてしまっているからだ。ゆえに「純愛」は社会の外側にしか存在しない。そう考えると結婚は最も愛から遠い概念であるとさえいえる。法内の損得勘定と法外の愛は、ひたすら対立するものなのだ。
現代社会の凡人が「感情の劣化」から逃れ、有意味な世界を生きていくために
法社会に生きる現代社会の私たちは、「神経症者」として社会適応しなくては生きてはいけない。しかしそれは感情の劣化を生み、人生と社会を味気ないものへと変質させてゆく。かといって古代社会のように感情の赴くままに生きてしまえば、人間は社会不適応を起こし「精神病者」と化してしまうだろう。
それを防ぐための処方箋として提示されるのが「倒錯者」だ。表の社会では神経症者として法社会に適応し、裏に精神病者としての顔を隠し持つ。人生の軸足は裏の世界に置き、表社会はなりすました仮の姿。こうして感情の劣化を防ぎ生きる意味を保全する。
思えば私は若いころから「倒錯者」として生きてきた。学生時代は学校ではなくゲーセンこそが本当の自分の居場所だと思いながら生きていたし、47歳になったいまでも会社員として日銭を稼ぎながら夜の繁華街を日々仲間と練り歩いている。「本当の顔」は当然夜の側*5。そんな私だからこの本に書かれている内容は非常にしっくりきたし、私が生きる意味を失わず幸せな人生を歩めている理由も理解できた。私は独身だが愛に生きる人間だったのだ。愛ゆえに独身であり、幸せだったのだ。
法の論理が社会を覆いつくし、法外の過剰が消し潰されようとしている現代社会。その社会の中で神経症的に感情を喪わず、精神病的に社会不適応も起こさず、愛を喪わず幸せな人生を歩んでいく。そのためのヒントがこの本には溢れている。社会適応に疲れ感情を忘れてしまったすべての現代人にオススメしたい。
CM
この記事は↓のイベント『ゼロ年代恋愛塾』に向け頭の中を整理するために書きました。2024/12/15(日) 13:00スタート。オンライン配信もあるそうなので、ご興味ある方は是非ご一緒しましょう。
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— ホリィ・セン (@holysen) 2024年12月2日