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教科書がつくりたいのか

「<教育再生会議>「道徳」を正式教科に 第1分科会で一致」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000141-mai-pol
というニュースが流れている。
この件については既に識者がコメントしているので(http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20070330とかhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070330/1175183919とか)、私のような素人がしゃしゃり出るまでもないのだが、思いついたことを書いておく。
腰抜け朝日新聞の報道では、次のような発言も報じられている(腰抜けにはリンクしない)。

 再生会議が徳育を教科に格上げするのは「道徳の時間は取られているが、きっちり行われているかというと、先生方も熱心でない方もいるし、教材も充実していない」(小野氏)との現状認識からだ。現在は教育委員会が刊行した読み物資料などが使用されているが、小野氏は「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識道徳心、規律を教えていくこと」と述べている。

「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識道徳心、規律を教えていくこと」。
なお、(小野氏)とは教育再生会議「副主査の小野元之氏(元文部科学事務次官)」であって、あのシトではない。
つまり、こうした議論がせり出してきた事情のひとつに、教科書がつくりたい、というものがあるのだ。
腰抜け新聞はこの程度だが、読売新聞はちゃんと問題点を指摘している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000216-yom-pol

 ただ、道徳を正式な教科とする場合、〈1〉どのような教科書を作るべきか〈2〉客観的な成績評価方法を確立できるか〈3〉担当教員に数学や英語などの教科と同じような形で免許を与えることが適当かどうか――などの検討課題がある。

「どのような教科書を作るべきか」
道徳の教科書なんて、どうやったら作れるのだろう、と途方に暮れるのは私のような素人で、(小野氏)のような人の頭には、もうとっくに見本が出来上がっているのだろう。
私が途方に暮れるのは、万人に教えられるような正しい道徳なんて、お釈迦様やイエス様じゃあるまいし誰が教えを垂れられるのだろう、とも思うし、倫理学の世界で喧々囂々と議論してなかなか決着の付かないようなことをどうやって教えるのだろうと首を傾げたりするからなのだが、(小野氏)のような人にはそういう迷いはないのだろう。
迷いがないのはある意味では当然である。
昨年末に改悪された現行教育基本法の特徴のひとつに、学習指導要領道徳編の法的根拠付けという性格があった。第二条(教育の目標)が指導要領道徳編に則ってつくられていることは明かである。
教育基本法は、文科省の通達に過ぎない学習指導要領と違って、そうそうコロコロ変えられない。
とすると、現行学習指導要領の枠組みが法的に正しい道徳として、これからも継続されていくことになる。
国定道徳は既に定められているのである。

関連資料

あるところで紹介されていたのでついでに挙げておく。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/1bunka/dai9/siryou2.pdf




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