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おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、おい、

はじめに

誰もまとめてくれないので自分でまとめます。こんなに悲しいことはありません。

2025年11月から12月にかけて、「おい、〜」というシリーズでブログを15本書きました。登壇もしました。合計16本です。誰かがまとめ記事を書いてくれるかなと思っていました。待っていました。誰も書いてくれませんでした。年末です。仕方がないので自分で書きます。

シリーズの始まり

今年の8月、本を書かないかという話が来ました。嬉しかったです。企画を練りました。構成を考えました。8月、9月、10月といろいろやり取りをしていたのですが、いろんな諸事情で立ち消えになりました。

悔しかったです。本を出せなかったことが悔しかったのではない。結局何にもならなかった自分が悔しかった。もっと準備できたはずだ。もっと詰められたはずだ。その後悔が残りました。でも、本の企画のために書いた下書き原稿が8本くらいありました。本にならないなら、ブログに書けばいい。そう思って始めたのが「おい、〜」シリーズです。

30歳になったこともきっかけでした。5月に「20代最後の一週間を生きるエンジニア、あるいは30歳の扉の前でうろたえる男の独白」というとても長いブログを書きました。20代が終わることへの焦り、不安、でも少しの期待。そのときに声かけていただいたのが、「おい、〜」シリーズとして出てきたものです。

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20代の頃は「なんでもできる」と思っていました。30代になって、「できない」を認められるようになった。それは諦めではなく、等身大の自分を見つめられるようになったということです。15本を通して書いていたのは、結局そのことだったのかもしれません。「おい、部屋を掃除しろ」から始まりました。下書きを消化したあとも、言いたいことが止まらなくなりました。無限に書いても良くないので、週に1回のペースに決めました。自分を律するために「おい、週一で書け」とは書きませんでした。結果、15本になりました。

15本の記事は、3つのカテゴリに分かれます。まず生活の基盤を整え、次に思考を鍛え、最後にその思考で仕事や人間関係に臨む。この順番で読む必要はありませんが、私の中ではこの流れがありました。

生活習慣編

おい、部屋を掃除しろ

掃除の話ではありません。自分を大切に扱う習慣の話です。部屋が汚い人間に、コードをきれいに書けるわけがない。因果関係なんてないし、汚い部屋の凄腕エンジニアなんていくらでもいる。でも、知っている人はみんな適当な時期に結婚などしてなんとかなったか、心か身体を壊して生活を改めたか、消えていった。因果はわからないが、意味のわからない経験則としてある。毎日5分の掃除から始める規律の美学について書きました。

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おい、一つずつやれ

Slack、メール、GitHub、全部同時に見ていると「忙しいのに何も終わらない」状態になります。これはおそらく忙しいのではなく、大量のタスク切り替えに対してコストを払っているだけです。仕事ができる人のイメージは、勝手に「マルチタスクができる人間」だと思っていました。しかし自分にその力はどうやらなさそうで、実際できていませんでした。ただ能力の限界まで「中途半端を量産する人間」でした。1日25分、1つのことだけに集中することから始めました。タスク切り替えの過払い金を整理した、という表現が正しいかもしれません。 syu-m-5151.hatenablog.com

おい、スマホを置け

技術書が読めない。集中力が続かない。意志が弱いのだと思っていました。違いました。スマホに最適化された脳でした。私たちの世代は高校生の頃からスマホに触れてきた。15秒ごとに報酬をくれるアプリに慣れた脳が、30分かけて一つの概念を理解する作業に耐えられるわけがない。これは人生が壊れるな、という実感がありました。自分より下の世代は、もっと大変だろうなと思いました。

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おい、本を読め

「本を読まない人は生き残れない」という強迫的なメッセージへの違和感があります。いつから読書は「生き残るための手段」になったのか。効率的に知識を得るための読書は続かない。義務感で読む本は頭に入らない。ただ楽しいから読む。それだけでいい。そういう価値観もあるのだと、知ってもらえたらと思っていました。私は今も、子供の頃に初めて図鑑を開いたときと同じ気持ちで本を読んでいます。正直、楽しければなんでもいいと思っています。読者やフォロワーが楽しんで、結果として生き残ってくれれば、それでいい。

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おい、休め

休んでいるのに休めていない、という問題があります。ソファで横になってスマホを見ている。一見すると堕落の象徴のようでもあり、休息のようでもある。しかし残念ながら、これは休息ではありません。低負荷の作業です。脳は休んでいない。判断を続けている。スクロールするかどうか。この動画を見るかどうか。このツイートに反応するかどうか。AI時代は判断を求められる機会が増える一方です。現代では意識的に「何もしない」時間を作らないと、脳が壊れます。「じゃあお前はブログを書き続けて休んでないじゃないか」という指摘があると思いますが、その鋭い刃は収めていただけると助かります。

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思考法編

おい、冷笑すんな

インターネットと冷笑は、相性が良すぎます。140字で専門家を論破した気になれる。何年も積み上げてきた人の仕事を、背景も知らずに「それ、意味あるんですか」と切り捨てられる。「専門性なんて要らない」「結局ポジショントークでしょ」——そんな言葉が、何も作ったことのない人から発せられている。私自身、視野を広げすぎて世界の複雑さに圧倒され、冷笑主義に陥った経験があります。何を見ても「まあ、そうなるよね」「どうせ変わらないよ」と思うようになっていた。達観した気になっていた。賢くなった気がしていた。違った。何も生み出さない人間になっていただけでした。冷笑は「どうせ無理」で終わる。批判は「ここがダメ」で終わる。批評は「ここがダメだから、こうすればいい」まで踏み込む。私は冷笑で止まっていた。一番楽で、一番何も残らない場所に。若い頃に冷笑してきたものが、今になって本当に大切だとわかる。それが少し悔しい。

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おい、内省しろ

内省と反省は違います。反省は「悪かった、次は気をつけます」で終わる。そして同じミスを繰り返す。私がそうでした。何度も反省した。何度も同じ失敗をした。反省とは、過去に頭を下げる行為でしかなかった。内省は違う。「なぜそうなったのか」を掘り下げて、構造を理解し、仕組みごと変えるプロセスです。自分を責めるのではなく、自分を観察する。毎日30秒でいい。寝る前に「今日、なぜあの判断をしたのか」を考える。それだけで少しずつ変わります。

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おい、言語化しろ

2025年、言語化神話が爆誕しました。「言語化できれば理解できる」「言語化できないのは思考が浅い証拠」——そんな空気が広がっている。確かに、言葉にできない領域があまりに広い人にとっては、その神を信じることで救われることもあります。言葉にする努力が思考を前に進めることもある。しかし、普通の大人には言語化できないものがあります。「なんとなくこっちの方がいい」という直感。説明できないけど手が動く技術。身体に染み込んだ知識、実践の中で培われた勘、創造的な跳躍、感情ヒューリスティック。これらを全部言葉にしようとすると、かえって嘘になる。言葉にした瞬間、丸められる。削られる。本当はもっと複雑で、矛盾していて、揺らいでいるものが、きれいに整理された途端に別物になる。「完璧に言語化できた」と思ったら、何か大事なものを落としている証拠かもしれない。不完全な変換でいい。「まだ言葉にできない何か」を抱えている感覚こそが、次の成長を生みます。

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おい、つなげろ

問題解決には「つなげること」と「断つこと」の両面があります。知識と知識をつなげて解決策を見つける。異なる領域の経験を結びつけて、新しい発想を得る。しかし、間違ったつながりを断つ勇気も必要です。「前もこうだったから」という過去の成功体験が、今回の失敗を招くことがある。AIに聞けば答えは出る。でも、自分でつなげる経験をしないと、応用が効かない。なぜその答えに至ったのか、プロセスが身につかない。「AIが教えてくれた答え」と「自分で見つけた答え」は、同じ答えでも身につき方が違う。苦労して見つけた答えは、次の問題を解く足場になる。与えられた答えは、その場で消える。

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おい、類推するな

所有権を「本の貸し借り」に例えて理解しました。わかった気になりました。腹落ちした感覚すらあった。しかし実際にコードを書いたら、例えが成立しない場面だらけでした。本は返却されても同じ本だが、所有権はそうではない。そういう経験は意識的にも無意識的にもやってしまうと思います。類推は便利ですが危険です。複雑なものを飲み込みやすくする代わりに、本質からズレた理解を植えつける。入り口としては使える。でも、判断するときは具体に戻る。「本の貸し借りだから...」ではなく「Rustの所有権のルールでは...」で考える。例え話で納得したら、そこで立ち止まって、例えを捨てる勇気を持つ。

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仕事・対人編

おい、対話しろ

会議で「話しているが対話していない」場面があります。みんな口だけは喋っている。でも誰も聞いていない。相手の発言が終わるのを待っているだけ。その間に自分の意見を頭の中で整理している。相手の言葉を受けて考えを変える気がない。これは対話ではない。順番にモノローグを発表しているだけです。対話の本質は、相互の世界観を認識し、理解を深めるプロセスにある。相手の言葉を聞いて、自分の考えが変わる余地を残す。論破ではなく理解を目指す。勝ち負けではない。「なるほど、そういう見方もあるのか」が対話の成果です。

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おい、がんばるな

「頑張ること自体が目的化していた」という反省があります。遅くまで残って、休日も働いて、「頑張っている自分」に酔っていた。忙しさを充実感と錯覚していた。成果は出ていなかった。いや、正確には見ていなかった。過程に満足して、結果を直視していなかった。環境とのミスマッチを認識し、持続可能なペースに切り替えたら、むしろ成果が出るようになった。頑張りを減らしたのに成果が増える。皮肉だが、これが現実だった。公開した翌日、「いや、待てよ」と思いました。

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おい、努力しろ

前日の「がんばるな」への自己反論です。24時間で意見が変わりました。というわけではないです。読者は混乱したと思います。「頑張らなくていい」という言葉が、怠惰の免罪符として使われる危険性に気づいた。「無理しなくていい」が「やらなくていい」にすり替わる瞬間がある。量をこなさないと見えない景色がある。苦しみを乗り越えた経験がないと、乗り越え方がわからない。限界を知るには、一度限界まで行く必要がある。矛盾しているように見えますが、矛盾していません。両方本当です。「頑張りすぎるな」と「頑張らないと見えないものがある」は、同時に成り立つ。問題は、今の自分がどちら側にいるかを見極めることです。

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おい、戦略を語れ

「戦略」という言葉が形骸化しています。「戦略的に進めましょう」と言う人に「具体的にどういう戦略ですか」と聞くと、答えられないことが多い。「戦略」が「なんとなく賢そうな進め方」の意味になっている。戦略の本質は「何をやらないかの選択」です。全部やるのは戦略ではない。総花的にリソースを配分するのは、戦略がないことの証明です。限られた時間とエネルギーを、どこに集中させるか。何を意図的に捨てるか。エンジニアも「これは作らない」と言える立場になるべきです。「作れるけど作らない」という判断ができることが、本当の技術力かもしれません。

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おい、論理で人が動くと思ってるのか

論理的に正しい提案でも通らないことがあります。データを揃えた。根拠を示した。反論の余地がないほど完璧な提案書を作った。却下されました。なぜか。人は論理だけでは動かない。正しさだけでは、心が動かない。「このシステムは非効率です」より「先月、この非効率のせいで3時間残業しました」の方が通る。数字より、1人の体験談。グラフより、具体的な苦労話。人は物語で納得し、論理で自分を正当化する。だから、まず物語で心を動かし、その後で論理を添える。順番が逆だった。完璧な論理を用意する前に、「誰の、どんな困りごとを解決するのか」を語るべきでした。

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登壇

12月5日、Forkwell Communityで「おい、テックブログを書け」という登壇をしました。元々文章が苦手でした。今も苦手です。それでも書き続けたら、登壇を頼まれるようになりました。苦手なまま登壇しています。緊張で声が震えます。けれど登壇しています。出発点の低さは到達点を決めない。苦手なまま続けて消えていった人も山ほど見てきた。違いは何か。苦手なことを自覚した上で、苦手なまま出す覚悟をした。完璧を目指していたら続かなかった。

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何を言いたかったのか

15本を書いていて気づいたことがあります。それぞれの記事がつながっていく感覚がありました。「スマホを置け」と「休め」、「内省しろ」と「言語化しろ」。しかし同時に、全く反対のことも言っている。「がんばるな」の翌日に「努力しろ」。一貫性がない。でも、そういうものだと思っています。「おい、〜」シリーズは、飲み屋で語りたいことを適当に語っているような記事です。整合性を気にしていたら書けなかった。完璧を目指してたら書けなかった。

矛盾だらけの15本ですが、振り返ると1つだけ共通点がありました。どの記事も「手段が目的化していないか」を問うていた気もする。掃除も、読書も、努力も、論理も、すべて何かのための手段です。その「何か」を見失っていた。効率と最適化に追われて、「なぜそれをやるのか」という問いを忘れていた。タスクをこなすことが目的になり、タスクの先にある価値を見失っていた。15本を通して言いたかったのは、そのことです。

スマホで時間を潰すな。マルチタスクで忙しいふりをするな。冷笑で賢いふりをするな。論理だけで人を動かそうとするな。がんばることを目的にするな。でも努力から逃げるな。

矛盾だらけです。人間は矛盾しています。それでいいと思っています。

おわりに

本の企画が立ち消えになったとき、正直落ち込みました。でも結果的に、ブログという形で書きたいことを全部書けた。本になっていたら、編集者に「矛盾してます」と言われて、どちらかを削っていたと思います。ブログでよかった。

15本も書いて、誰も読んでいないかもしれません。誰もまとめてくれなかったということは、そういうことなのでしょう。あるいは、みんな忙しいだけかもしれない。そう思うことにしています。それでも書きました。自分のために書きました。30歳の自分から、40歳の自分への手紙です。

「おい、お前、ちゃんとやってるか」

10年後に読み返して、恥ずかしくなるかもしれません。「やっぱり正しかった」と思うかもしれません。どちらでもいい。でも、同じことを書いていたら。同じ悩みを抱えていたら。40歳の自分がこれを読んで、何も変わっていなかったら。それが一番怖い。

来年も書きます。誰かがまとめてくれることを期待しています。でも、たぶんまた自分でまとめることになる。飽きたらやめます。だから普通に褒めてください。人に勧めてください。

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