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専門家は話さないですよ(『専門家が「力」をセーブせずに全力で専門性を振り回してもリスペクトされる組織をつくりたい』を読んで)

はじめに

正直に言う。この文章を書くかどうか、ずいぶん迷った。「専門家はもっと声を上げるべきだ」という意見に対して、「いや、話さないんですよ」と返すのは、なんだか後ろ向きに見えるかもしれない。諦めているように聞こえるかもしれない。そういう風に受け取られるのは、ちょっと嫌だな、と思った。

でも、書くことにした。なぜなら、「話せばいいじゃん」「振りかざせばいいじゃん」という言葉に、ずっと違和感を抱えてきたからだ。その違和感の正体を、自分なりに言葉にしてみたかった。これは、専門家として組織の中で働いてきた、私個人の経験と考えだ。すべての人に当てはまるとは思わない。でも、同じような経験をしている人が、もしかしたらいるかもしれない。そういう人に届いたらいいな、と思いながら書いている。

「専門性の刃で殴りかかってこい」への違和感

「専門家が『力』をセーブせずに全力で専門性を振り回してもリスペクトされる組織をつくりたい」という記事を読んだ。

専門家はプロらしく専門知識を振りかざしてほしい。そこに忖度はいらない。殺す気でかかってきていい。言っていることが難しくて良い。専門家ってのは、そういうもんだろ、と。

痛快だし、気持ちはわかる。専門家がセーブせずに力を振るえる組織という理想像は、多くのエンジニアやデザイナーが心の底で望んでいることだろう。その理想を堂々と語る姿勢には敬意を覚える。フジイさんの記事は、専門家の側に立って「もっと力を発揮していいんだ」と背中を押してくれる。それ自体は素晴らしいことだ。

でも、私はこの説明に違和感がある。そして、専門家としては、そういう組織を期待して待っていても仕方ないと思っている。

専門家は話さない。振りかざす以前の問題として、そもそも話さない。

fujii-yuji.net

話すことの面倒くささ

専門家が話さない理由は、実はとても単純だ。面倒くさいのだ。

自分の中にある専門的な知見を言葉にして口から出した瞬間、それは相手の解釈に委ねられる。どれだけ正確に伝えようとしても、相手の受け取り方は相手次第だ。ずれが生じる。これはいかなるコミュニケーションにおいても不可避だ。そして、ずれた理解に基づいて余計なことを言われる。「それってつまりこういうことですよね」と、全然違う解釈を返される。「でもそれって現実的じゃないですよね」と、文脈を無視した反論が来る。

そのたびに「いや、そういうことではなくて」と釈明しなければならない。これが、本当に面倒くさい。だから専門家は話さない。話しても伝わらないし、伝わらなかったときの釈明が面倒くさいから。

専門家の言葉が届かなくなるとき

他にも組織の中で、専門家の言葉が届かなくなる瞬間がある。エンジニアが「この設計だと将来困ります」と言っても、「今はそれどころではない」と退けられる。デザイナーが「このUIは使いにくい」と指摘しても、「ユーザーは慣れる」と押し切られる。セキュリティの専門家が「この実装は危険です」と警告しても、「リリースを優先して」と言われる。

なぜこうなるのか。専門家の意見と非専門家の意見が、同じ重みで扱われるからだ。あるいは、声の大きさや立場の強さで、専門家の意見が上書きされるからだ。「それはあなたの感想ですよね」と言われる。「他の見方もある」と言われる。正しいことを言っているのに、「意見の違い」として処理される。これは単なる無関心ではない。専門知への拒絶だ。

専門家が何か言うと、面倒くさがられる。「また難しいことを言っている」「理想論だ」「現場を知らない」と思われる。そのうち、専門家の発言自体が疎まれるようになる。私はこれを「専門家の言葉が死ぬ瞬間」だと思っている。言葉が発せられても、届かない。届いても、受け止められない。受け止められても、行動に変わらない。そういう組織では、専門家は黙るようになる。

分業が生む視野の狭さ

なぜこうなるのか。私なりに考えてみた。こんな経験がある。セキュリティの観点から「この実装は危険だ」と2回警告した。2回とも「リリースを優先して」と言われた。3回目は言わなかった。そして半年後、その実装が遠因でインシデントが起きた。「なぜ発生した」と言われた。言ったんだけどな、と思った。

組織が大きくなると、分業が進む。営業、開発、デザイン、マーケティング。それぞれが専門性を高め、効率よく仕事を回せるようになる。これ自体は正しい。でも、分業には副作用がある。自分の担当範囲だけを見るようになる。隣のチームが何をしているか、知らなくても仕事は回る。全体像が見えなくなる。自分の視野がどんどん狭くなっていることに、気づかない。

視野が狭くなると、判断がずれる。自分の担当範囲では正しいことが、全体で見ると間違っていることがある。でも、全体が見えないから、そのずれに気づけない。そして、何かを変えようとしても、壁にぶつかる。「それは私の管轄じゃない」「そっちのチームに言ってくれ」「今はそれどころじゃない」。組織の境界線が、行動を阻む。やがて、組織全体が「どうもうまくいっていない」と感じるようになる。でも、何が問題なのかがわからない。みんなが自分の持ち場で懸命に働いているのに、全体としては空回りしている。これが、ある程度成熟した組織が陥る罠だ。誰かが悪いわけではない。構造がそうさせている。

話しても届かない構造

この構造の中で、専門家はどうなるか。まず、自分の視野が狭くなっていることに気づかなくなる。自分の担当領域のことしか見えない。全体像が見えないから、自分の懸念が組織全体にとってどれだけ重要か、判断できない。「言っても仕方ない」と思ってしまう。次に、何か言っても壁にぶつかる経験を重ねる。「それは私の管轄ではない」「今はそれどころではない」と言われる。何度かそういう経験をすると、言うこと自体をやめる。学習性無力感だ。

そして、本質的な問題を指摘しても、表面的な対応で済まされる。「技術的負債を返済しないと」と言っても、「今月のリリースが優先だ」と返される。根本的な問題が見えない組織では、根本的な指摘は届かない。専門家が話さないのは、怠けているからではない。プロ意識が低いからでもない。話しても届かない構造の中に置かれているからだ。何度も壁にぶつかって、学習した結果だ。

専門家と非専門家の間にある溝

専門家の言葉が届かないのは、誰かが悪いからではない。専門家は自分の領域を深く知っている。だからこそ、何が重要で何が危険かがわかる。でも、その「わかる」が、相手に伝わるとは限らない。非専門家には、非専門家の世界がある。締め切りがあり、予算があり、上からのプレッシャーがある。彼らは彼らなりに合理的に判断している。専門家の言うことが理解できないとき、「今は優先度が低い」と判断するのは、彼らにとっては当然のことだ。つまり、どちらも自分の世界では正しいことを言っている。

問題は、それぞれの世界が交差しないことだ。専門家の「危険です」と、非専門家の「今はそれどころじゃない」が、同じ言語で話されているようで、まったく違う文脈に立っている。この溝を埋めるには、お互いの世界を理解しようとする努力がいる。でも、その努力には時間がかかる。そして、時間をかける余裕がない組織では、溝は埋まらないまま放置される。専門知識を振りかざしても、この溝は埋まらない。むしろ、溝を広げてしまうことさえある。

「振りかざす」だけでは何も変わらない

フジイさんは「専門知識を振りかざせ」と言う。力をセーブするな、忖度するな、と。気持ちはわかる。でも、私の経験では、振りかざしてもうまくいかなかった。専門家が強く主張すればするほど、相手は身構える。「また難しいことを言い始めた」「仕事を遅らせるつもりか」と思われる。こちらは正しいことを言っているつもりなのに、「面倒くさい人」として扱われる。

そして、一度そういう印象を持たれると、次から話を聞いてもらえなくなる。「あの人はいつも理想論ばかり言う」というレッテルが貼られる。正しいことを言っているのに、聞いてもらえない。悪循環だ。振りかざすという態度は、相手に「自分の世界を押し付けられている」と感じさせる。人は押し付けられると、反発する。これは自然な反応だ。だから、振りかざしても状況は良くならない。むしろ、悪くなることのほうが多い。

対話とは何か

じゃあ、どうすればいいのか。私は「対話」だと思っている。ただし、ここで言う対話は「話し合う」という単純なものではない。対話とは、相手の世界に入っていくことだ。相手が何を見ているのか。何を気にしているのか。何を恐れているのか。どういうプレッシャーの中にいるのか。それを理解しようとすること。そして、理解した上で、相手の言葉で、相手の文脈で、自分の知っていることを伝えること。

これは「振りかざす」とは正反対の態度だ。振りかざすとは、自分の世界から一歩も出ないまま、相手に自分の言葉を投げつけること。相手が理解できないなら、相手が悪い。対話とは、自分の世界を一度脇に置いて、相手の世界に足を踏み入れること。相手の言葉で考え、相手の文脈で説明する。これは、とても難しい。そして、とても面倒くさい。

対話のコストを払える組織

対話には膨大なコストがかかる。相手の世界を理解するために時間をかける。相手の言葉で説明するために言葉を選ぶ。ずれが生じたら、丁寧に修正する。誤解が生まれたら、根気強く解きほぐす。このコストを、組織が払えるかどうか。「今月のリリースが優先だ」「そんな時間はない」「とにかく早く作れ」という組織では、対話のコストは払えない。対話に時間をかける人は「仕事が遅い人」として評価を下げられる。

対話のコストを払える組織とは、どういう組織か。意思決定のプロセスに専門家を巻き込む組織。評価制度が「言われたものを早く作る」ではなく「価値あるものを作る」を評価する組織。専門家の意見が「めんどくさいこと」ではなく「必要なこと」として扱われる組織。そして、相手の世界を理解しようとする姿勢が、当たり前のこととして共有されている組織。

対立を放っておかない

対立は放っておくと腐る。私自身、何度も失敗した。相手の話を遮って、自分の正しさを主張して、結局何も変わらなかった。そのたびに学んだのは、急いで反応しないことの価値だ。対立を放っておくと気まずさが積み重なる。仕事の判断がぶれ、人が協力しにくくなる。でも、対立が起きた瞬間に「正しさ」で押し切ろうとすると、もっと悪くなる。私はそれを何度も経験した。

だから今は、衝突の場面では一度立ち止まるようにしている。相手の話を最後まで聞く。相手が何を恐れているのか、何を守ろうとしているのかを理解しようとする。それだけで、相手の硬さがゆるむことがある。争点をはっきりさせると、不要な言い合いが減る。「ここは合意できる」「ここは意見が違う」と整理するだけで、議論が前に進む。小さな合意を積み上げると、相手への不信が弱まる。これは言うのは簡単だが、やるのは難しい。私も何度も失敗した。でも、やる価値はある。専門家が話せる組織を作るというのは、対立を避けることではない。対立が起きたときに、それを丁寧に扱える組織を作ることだ。

「あなたになら話したい」

専門家が話すのは、話しても大丈夫だと思える相手に対してだけだ。自分の言葉が曲解されない。余計な解釈を加えられない。「そういうことではない」と釈明する必要がない。相手が自分の世界を理解しようとしてくれている。そういう相手に対してだけ、専門家は話す。「あなたになら話したい」——この感覚が、専門家に話をさせる。

話すことのリスク

でも、「あなたになら話したい」と思える相手は、実はとても少ない。専門家が話さないのは、構造の問題だけではない。話すこと自体に、あまりにもリスクがある。曲解される。余計なことを言われる。釈明が必要になる。プライドを刺激する。張り合われる。情報を軽々しく扱われる。他の人に言いふらされる。

これだけのリスクを負って、それでも話す価値があるか。多くの場合、ない。だから専門家は黙る。専門知識を振りかざすどころか、そもそも口を開かない。

コミュニケーションの不可避的なずれ

どれだけ丁寧に対話しても、ずれは生じる。私が話したい出来事が言葉となって口から出た時点で、それは私のものではなくなる。相手がどう受け取るかは、相手次第だ。これは、いかなるコミュニケーションにおいても不可避だ。だからこそ、対話のコストを払う意志があるかどうかが重要になる。

ずれが生じたときに、「そういうことではない」と切り捨てるのではなく、「どうずれているのか」を一緒に探る。誤解が生まれたときに、「わかってないですね」と責めるのではなく、「どう誤解されたのか」を一緒に確認する。そして、聞いたことを軽々しく他の人に話さない。他者の情報を、自分の優越感のために消費しない。そのコストを払う意志があり、その倫理観を共有できる組織に対してだけ、専門家は話す。

組織に期待しても仕方ない

専門家が専門家としてリスペクトされる組織。フジイさんが描く理想は、私も心から望んでいる。でも、そういう組織を期待して待っていても、来ない。組織が変わるのを待っていたら、専門家は永遠に黙ったままだ。「いつか理解してくれる組織に出会えるはず」「いつかリスペクトされる日が来るはず」。そう思って待っていても、その日は来ない。だから、専門家の側から動くしかない。

振りかざすのではなく、対話する。相手の世界に入っていく。相手の言葉で、相手の文脈で、自分の知っていることを伝える。面倒くさいけど、そのコストを自分から払う。組織が対話のコストを払ってくれるのを待つのではなく、自分から払う。相手が自分の世界を理解してくれるのを待つのではなく、自分から相手の世界を理解しにいく。これは不公平だ。専門家の側だけが努力するのはおかしい。でも、待っていても状況は変わらない。専門家に「振りかざせ」と言うのは、順番が逆だ。でも、「組織が変われ」と言うのも、期待しすぎだ。組織は簡単には変わらない。変わるのを待っていたら、自分が消耗するだけだ。だから、自分から動く。対話のコストを、自分から払う。

専門家は話さない、でも

専門家は話さない。話しても届かないから。話しても曲解されるから。話しても釈明が面倒くさいから。話したことを軽々しく扱われるから。他人を嫌いになりたくないから。専門家の言葉が届かなくなった組織では、専門家は黙る。それは怠慢ではない。何度も壁にぶつかった結果の、合理的な適応だ。

でも、黙ったままでいいのか。フジイさんの理想は素晴らしい。専門家がリスペクトされる組織。専門家が力をセーブせずに振るえる組織。私もそういう組織で働きたい。でも、そういう組織を待っていても来ない。だから、自分から動くしかない。振りかざすのではなく、対話する。面倒くさいけど、相手の世界に入っていく。組織が変わるのを待つのではなく、自分から対話のコストを払う。

「あなたになら話したい」——そう思ってもらえる相手に、自分からなる。組織に期待するのではなく、自分がその一人目になる。振りかざせと言う前に、自分から対話のコストを払う。それが、専門家として生き残る唯一の方法だと、私は思っている。私もまだ道半ばだ。何度も失敗するし、面倒くさいと思うこともある。でも、やるしかない。一緒にやっていこう。

おわりに

ここまで書いてきて、ふと思う。結局、私は何を言いたかったんだろう。「専門家は話さない」という事実を伝えたかったのか。「組織に期待するな」と言いたかったのか。「自分から動け」と説教したかったのか。たぶん、どれでもない。

私が本当に言いたかったのは、「話さないことを選んでいる自分を、責めなくていい」ということかもしれない。黙っているのは怠慢じゃない。何度も壁にぶつかって、学習した結果だ。それは合理的な適応だ。でも同時に、「黙ったままでいいのか」という問いも、ずっと抱えている。この矛盾を、私はまだ解決できていない。

だから、「自分から対話のコストを払う」という答えを、自分自身に言い聞かせているのかもしれない。フジイさんの記事に対する反論というより、自分への言い訳、あるいは自分への励まし。そういう側面もあると思う。この文章を読んで、「わかる」と思ってくれた人がいたら嬉しい。「違う」と思った人もいるだろう。それでいい。

ただ、もし同じような経験をして、同じように黙ることを選んでいる人がいたら、伝えたい。あなたは間違っていない。でも、黙ったままでいいのか、という問いは、たぶん消えない。その問いと一緒に、私はこれからも対話のコストを払い続けるんだと思う。面倒くさいけど。

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