
治承四年正月一日、
法皇の鳥羽殿とばどのには、人の訪れる気配もなかった。
入道相国の怒り未だとけず、公卿たちの近づくのを許さなかったし、
法皇も清盛をはばかっておられたからである。
正月の三日間というもの、朝賀に参上するものもいなかったが、
僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範だけが特に許された。
〜厳島御幸より

治承四年正月一日、
法皇の鳥羽殿とばどのには、人の訪れる気配もなかった。
入道相国の怒り未だとけず、公卿たちの近づくのを許さなかったし、
法皇も清盛をはばかっておられたからである。
正月の三日間というもの、朝賀に参上するものもいなかったが、
僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範だけが特に許された。
〜厳島御幸より