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【平家物語 第1巻 4 鱸〈すずき〉】🪻伊勢から熊野へ渡る航海の途中、鱸が、清盛の船の中にとびこんできた。乗り合せていた案内人は、「こりゃめでたい、熊野権現のおしるしですぜ」とお世辞をいった。

仁平《にんぺい》三年正月、忠盛は、五十八歳で死に、

息子の清盛《きよもり》が、跡を継いだ。

 清盛は、父親にもまして、才覚並々ならぬ抜目のない男だったらしい。

保元《ほげん》、平治《へいじ》の乱と、

権力者の内紛に、おちょっかいを出しながら、

自分の地歩は、着々と固めていって、

さて皆が、気がついた時分には、

従一位《じゅういちい》、太政大臣 平清盛という男が、でき上っていた。

異例のスピード出世というところである。

 

この時代は、成功も失敗も、一様に、神仏に結びつけたがる傾向があった。

平氏の繁昌《はんじょう》振りをみて、

これは、熊野権現《くまのごんげん》のご加護だと誰からとなくいい出した。

ところが、この噂の出どころは、実は清盛なのである。

 伊勢から熊野へ渡る航海の途中、鱸が、清盛の船の中にとびこんできた。

 乗り合せていた案内人は、この時とばかり、

「こりゃめでたい、熊野権現のおしるしですぜ」

とお世辞をいった。

もちろん、清盛は、心中でニヤリとしたが、そこは、神妙な顔で、

「うん、わしが昔読んだ書物に、天下を平定した周の武王の船にも、

   白魚が躍りこんできたとかいう話があったのを覚えてるよ。

   とにかくめでたいことだから、こいつをみんなで喰おうじゃないか」

といった。

 

清盛の脳のめぐりの良さも知らず、乗船の一同、恐懼《きょうく》感激して、

一きれの魚を味ったに違いない。

予想通り、この話が、巷《ちまた》に伝えられて、

熊野権現加護説を生み出したのだから、

まさに清盛の思う壺《つぼ》だったというべきである。

🪻🎼#春の箱舟written by #まんぼう二等兵 

 

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