小さい頃、私は科学が大好きな子どもでした。
洗濯のりと食紅で作ったスライムのひんやりした感触や、ガスバーナーで焼いたカルメ焼きをハフハフしながら食べたときの満足感は、今でもほんのり覚えています。
あるとき、進研ゼミだったか、それとも教育番組だったか――
シャボン玉を長持ちさせる方法について解説する映像を見ました。とても簡単な方法で、たしかシャボン玉液にハチミツを少し混ぜるというものでした。映像では比較実験の様子も映っていて、実際に自分で試してみても、たしかにシャボン玉は長く空中に漂っていました。
そこまでは、良かったのです。
しかし、子どもの欲望というのはなかなか侮れません。
――もっと長持ちするシャボン玉を作りたい!
それどころか、割れないシャボン玉を作りたい!!
そう思ってしまうのは、無理もありません。好奇心はねこちゃんもにゃんとやら。
それからというもの、私は家中の石けんを取り出して試行錯誤を始めました。液体せっけんに、固形石けん。いろいろな種類がありました。
でも、それだけでは終わりません。なにせ、シャボン玉はハチミツを混ぜることで長持ちしたのです。身近にある“意外なもの”で、まだまだシャボン玉を強くできるに違いない――。醤油、牛乳、もしかしたらミョウバンかもしれない。
そんなふうに、あれこれと試してみました。でも、小一時間もすると、あまり結果は変わらないことに気づきます。どうやっても、シャボン玉はすぐに割れてしまう。祈っても、駄目でした。
そして私は、あちこちひっくり返して取り出したものたちが、急にガラクタのように思えてきました。どうして、こんなことに時間を使ってしまったのだろう。友達と遊びに行っていた方がよかったんじゃないか。漫画を読んでいた方が、ずっと楽しかったんじゃないか――そんな気がしてきました。
大人になってから、さまざまな人たちから似たようなアドバイスをもらうようになりました。実用書にも、よく書いてあります。
「まずはとにかく、やってみることが大事だ」と。
「とにかく手を動かせ」と。
たしかに、世の中にはじたばたしていたら扉が開くようなこともあります。けれど私は、ふとした瞬間にあの“割れないシャボン玉”のことを思い出してしまうのです。
もしかしたら本当にあのとき必要だったのは、「試行」ではなく、もっと圧倒的に――今いる地面から離れて飛翔するための「翼」のようなものだったのではないか、と。でも、「翼」って具体的には一体なんなんだろう。
いま、世の中では「教育」がとても大事だとされています。
しかも、自分自身で考えて、じっくり課題に取り組む教育が良いとされている。
でも、なにか、自分の思いつく限りを尽くすことだけでは、足りない気がするのです。だから、シャボン玉はすぐに割れてしまいます。
割れないシャボン玉を手に入れるということが、人が本当に自立して課題を解決する、ということなのではないか。
そんなふうに思ってしまうのです。
……とはいえ、今あらためて考えてみると、割れないシャボン玉って、別に風船をヘリウムで膨らませるだけでもいいんじゃないか、って気もしてきました。笑
