
人によって、見えているものが違う。
その当たり前の事実を普段はすっかり忘れて、私たちは実に都合よく平和に生きている。通じ合えているような気すらして。
でもふとした瞬間に、隣で同じ景色を見ていると思っていた人が、別世界を生きていることに愕然とするのだ。
「日曜は晴れだって。どう過ごす?」
そう尋ねてきた夫は、とにかく外出とグルメを結びつけたい男である。だから私は軽くこう提案してみた。
「木場公園を散歩して、銚子丸でお寿司でも食べる?」
近所で完結するし息子も公園は楽しいだろうし夫も満腹になる。公園と回転寿司、わりに定番のコースである。
「そうだねぇ、でも混んでるかなぁ…」
あくまで冷静な雰囲気を醸していた。
翌朝、起きてリビングの扉を開けると、夫が完全に寿司顔になっていた。寿司を食べる気満々の顔、寿司を受け入れるために万全の胃袋、寿司に向けてキビキビと動く肢体。
「銚子丸は並ぶからさ、11時のオープンと同時に入店した方がいいと思うんだよね。だからそれまでに公園遊びを終えるとなると、逆算して早めに出発した方がいい」
照準は完全に、息子の公園遊びではなく銚子丸の開店に合わせられていた。非常に生き生きとしている。早朝のジョギングを終え、シャワーを浴び、二歳児の世話をせっせと進めている。
「ほら、そろそろオムツ替えてパン食べるよ」
「ayakoさんも早くお化粧をしよう」
のんびりと朝のテレビを見る息子や、ゆっくりコーヒーを入れる私を異常に急かしている。近所の公園に行くだけの日曜なのに、なぜこんなに圧をかけられるのか。

午前中の空気は最高だ。まして秋という季節においては。
「朝の散歩は気持ちいいねぇ」
などと朗らかな心地に浸る私の隣で、異常に焦る大男がいた。
「もう朝じゃないよ…10時だよまずいよ…」
気まぐれな二歳児と朝に弱い32歳を動かすのは並ではない。それでも10時すぎに家を出て公園に向かうというのは、休日の過ごし方としてパーフェクトな部類に入るだろう。だが彼の頭の中には11時開店の銚子丸だけがあるのだ。

いつもの商店街。この季節は案山子とか謎の飾り付けで賑やかになる。

昼過ぎになるとおしゃれな若者がどこからともなく現れる美術館前も、しんとしている。そう、世の中はまだ動き出したばかりなのだ。

秋の公園は美しく、

ちょっとした寄り道が楽しい。

木場公園大橋は意味もなく走りたいし、

まだ空いている道路をぼんやりと眺めるのもいい。

紅葉がもうすぐ始まりそうだなぁと私はワクワクしていて、息子は言うまでもなくたまに通る車に夢中で、

川を小さな船がスーッと通って行くのも、きらめく瞳で見ていた。

池の水面が揺れるのをいつまでも眺めていられるし、

誰かが作った大きなシャボン玉が、ゆっくりと空に昇っていくのを奇跡のように目で追う。秋はとにかく美しい季節なのだ。

ようやくお目当ての芝生の広場にたどり着き、息子が黄色いボールを手にしたとき、夫は腕時計をちらりと見てこう言った。
「今、開店したよ」
人によって、見えているものが違う。あまりにも違う。
その当たり前の事実を普段はすっかり忘れて、私たちは実に都合よく平和に生きている。通じ合えているような気すらして。
でもふとした瞬間に、隣で同じ景色を見ていると思っていた人が、別世界を生きていることに愕然とするのだ。

え? 開店って何が?
と思った私は寿司のことなど完全に忘れていた。なにしろこちらのメインは秋晴れの公園なのだ。
ゆっくりと日差しがあたたかくなり、ちらほらとテントやシートを敷く人が現れる。そんな穏やかな日曜の午前中である。

しばらく黄色いボールと戯れていると、夫は言った。
「ひとまず行ってみようか」
芝生広場の時間は唐突に終わり、銚子丸に向かうこととなった。
「また戻ってきてボールやってもいいしね」
こう言って戻ってきたことが未だかつてあるだろうか。
開店時刻を20分過ぎて到着した銚子丸は、しかしすでに長蛇の列、夫は絶望しながらも高速で名前を書き連ねる。
「ayakoさんは本でも読んでなよ」
待てない二歳児と粘り強く歩道をあるいたり絵本を読み、全力を尽くしていた。なんていい父親なんだろう。すべては寿司の力だった。
「あまり時間がないかもしれない」
ようやく席に通された頃には息子も少々ご機嫌ななめ、焦った夫は高速で注文を開始した。注文したねたが到着し、それを味わい、満腹具合を確認しながら次の注文をする、そんな余裕は我々にはもうない。行けるうちにいくしかないッ!
それは何らかの競技のような時間だった。
二歳児に唐揚げを冷ましたり切り分けたりゼリーをすくったり、ひょうきんな顔にポップな声であやしたりしながら、怒涛のように運ばれる寿司の皿を平らげて行く。
夫は回る寿司を横目に見つつ、忙しなくタブレット端末から次のねたを注文し、大トロに悶絶し、空いた皿を重ね、瓶ビールを注ぐ。すべてが高速で、全力だった。もちろん寿司の写真など一枚もない。
短時間で30皿以上が積み重なる、異色のテーブルがそこにはあった。

「近所の公園に行って、帰りに回転寿司に寄ったんだ〜」
そんなふうに軽やかに語るには、あまりにもハードなイベントだった。言葉、そして写真が物語ることのできる世界の狭さよ。
はち切れそうなお腹を抱えて、帰路につく。この状況で、芝生の広場に戻ってもう一度ボールと戯れるなど、いったい誰ができるのだろう。
何はともあれ、この日、私の手にする小さなカメラにはひたすらに美しい秋の景色が収められ、夫の記憶は迫力の寿司で占拠された。


「一週間とか週末の日記を書くようにしてるから、ブログには私たちの日々がちゃんと記録されてるんだよ」
先日、ふとそんなふうに話したら、夫はこのブログのタイトルをざっとスクロールしながらキョトンとしていた。
「こんなことあったっけ…りんごケーキ? ジャム作り? 僕の食べたラーメン二郎とか宅麺はどこに載ってるの?」

ふたりとも愕然としていた。
そう、「私たちの日々」などというものは、決して存在しない幻想なのである。

Sweet+++ tea time
ayako
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