
2026年、東日本大震災から15年の節目を迎える東北の街々。復興に向けて、まだ道半ばの地域もあれば、かつての風景を取り戻した場所、全く新しい姿へと生まれ変わろうとしている街もあります。
バラエティ番組「懸賞生活」で一世を風靡した福島県出身のタレント・なすびさん。震災以降の15年は、復興に向けた勇気を届けるための「エベレスト登頂」への挑戦や、「みちのく潮風トレイル」踏破など、故郷・福島のために歩み続けてきました。
東京と福島の二拠点生活を送るなすびさんに、震災後、変わりゆく故郷の街をどう見つめているのか伺いました。
「故郷の大切さ」を再認識したとき、あの震災が起きた

―― なすびさんは現在、東京を拠点にしながらも、福島や東北を行き来されているそうですね。
なすびさん(以下、なすび): はい。基本的には東京に住んでいますが、東北関連の仕事もやらせてもらっていて、二拠点生活が馴染んできました。「あったかふくしま観光交流大使」として活動したり、最近では岩手県普代村や石川県など、ご縁をいただいた地域の応援もさせていただいています。
―― 高校卒業後に上京された当初から、地元・福島への想いは強かったのでしょうか。
なすび:正直に言えば、大学進学のために上京したときは、「東京で自分の夢をかなえる」と思っていました。福島は自分にとって大切だけど、あくまで「実家がある場所」でしかなかったんです。大学と警備員のバイトを行き来する日々、そして始まったのが『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系列)の「懸賞生活」。そんな学生時代だったので、ほとんど帰省しませんでした。
―― そんな地元・福島への意識が大きく変わったのは?
なすび:やはり、2011年の東日本大震災でした。震災以前から地元のローカル番組に5年間出演させていただき、県内59市町村すべてにお邪魔して、各地で温かい声をかけていただいていたんです。
懸賞生活の影響か、僕はいつも苦労していると思われていたみたいで、どこへ行っても何かしら食べ物をいただけたんです(笑)。「がんばってね」「応援してるよ」というみなさんの温かさに触れながら、自分にとって福島は「大事にしなきゃいけない特別な場所」だという想いが深まっていきました。そのタイミングで、あの震災が起きたんです。
―― 故郷が被災したという事実をどう受け止めましたか。
なすび:あの日、自分は仕事で千葉県にいたんです。実家は福島市で、福島県の中でも内陸部にあるので、幸い津波の被害は受けませんでした。運よく実家とすぐに連絡が取れたので、家族が無事であることの確認も取れました。
しかし、沿岸部の甚大な被害状況や原発事故の情報が少しずつ入ってくる中で、「このまま福島が失くなってしまうんじゃないか」と思ったんです。とにかく自分の無力さを感じる日々でした。
2011年4月末頃、初めて被災地であるいわき市に入って瓦礫の片付けなどを手伝わせてもらいました。いわき市は、父の出身地でもあり、僕も子どもの頃に住んでいた場所です。それから、いわき以外の地域にも少しずつ足を運ぶようになりました。
“客寄せパンダ”でもいい。無力感の中で模索した、タレントとしての役割

―― 福島をはじめ、東北の応援を続けているなすびさんですが、震災後はどんな活動をされたんですか?
なすび:当時、東北のいろんな場所で復興イベントが開催されていました。イベントに呼ばれなくても「何か手伝わせてください」と勝手に駆けつけて、物販の応援をしていました。
「なすびです! よかったら寄っていってください」と呼びかけると、みなさんが足を止めてくださって「懸賞生活見てたよ」とか「写真撮って」って声をかけてくださる。お話ししていると「じゃあ福島のものなんか買っていくよ」と言っていただける。“客寄せパンダ”みたいな可愛いものではないですけど、タレントとして、イベントを盛り上げるお手伝いをしてきました。
―― 復興イベントに参加されて、特に印象に残っていることは?
なすび:物販を手伝っていたとき、農作物の安全性について「お前、責任取れるのか」と厳しい声をいただくことがありました。検査結果などをご説明すれば、わかっていただける場合もありますが、検査して安全であることと、安心できるかどうかはそれぞれのお考えによりますよね。厳しいご意見に対して「どんなにいいものをつくっても福島産というだけで手にしてもらうこともできない」と、肩を落とす生産者の方たちをたくさん目にしました。
そんな中、とある被災者の方から、「こうやって手伝ってくれるのはうれしいんだけど、それよりも、なすびさんは知名度があるから、地元の人を元気づけたり、風評被害を払拭する情報発信をしてほしい」と声をかけていただいたんです。それをきっかけに、自分にできることを模索するようになりました。
なぜエベレストだったのか。復興への祈りを「形」にする挑戦

―― なすびさんの震災後の15年を語る上で欠かせないのが、エベレスト登頂ですね。なぜ、あえて世界最高峰という過酷な挑戦を選んだのでしょうか。
なすび:震災後、被災地を回る中で、みなさんの喪失感の深さに言葉を失いました。僕が何を言っても、どんなに元気づけようとしても、あまりに無力でした。そこで考えたんです。「言葉」で届かないのなら、誰もが目に見える「形」で、福島のみなさんに勇気や笑顔を届けられないかと。
―― どういうことでしょう?
なすび:登山未経験の僕が、世界で一番高い山に登ることで、「福島の人も、こんなにすごいことができるんだ」「諦めなければ、いつか頂上に立てるんだ」というメッセージを、背中で示したかったんです。
2013年に、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズ優勝を果たしたんですよね。東北のみなさんが、スポーツの力で元気づけられているのを目の当たりにしたことも、この挑戦を後押ししました。
―― 実際には、4度の挑戦を経てエベレスト登頂を達成されました。
なすび:1回目、2回目と失敗し、3回目はネパール大地震の雪崩事故に巻き込まれて死にかけました。3度目の正直と信じて挑んだのに、まさかの大地震に見舞われて断念せざるを得ないとわかったとき、山の神様に「お前はもう来るな」 と言われているんだと思いました。
―― よりによって大地震に……。さすがに心が折れてしまいそうです。
なすび:何度も諦めようと思ったけど、そのたびに福島のみなさんに支えられました。「なすびさんの挑戦が、私たちの希望なんだよ」と言ってくれたんです。その言葉で、諦めるという選択肢は消えました。
4度目の挑戦でようやく頂上に立てたとき、僕が一番に思ったのは「これでようやく福島に胸を張って帰れる」ということでした。

―― ネパール大地震に遭遇して3度目の失敗を経ても、挑戦を続けられるなすびさんの強さはどこから来るのでしょう?
なすび:やっぱり「懸賞生活」が大きいと思います。僕の人生の中で、あの1年3カ月よりも辛いことは何もありません。登山未経験でエベレストに登りたいとガイドさんに相談したとき、「山なめんな」って怒られるだろうと思ったんです。でも「あの企画に耐えた精神力があれば可能性があるかも」って言われて。
エベレストは、入山料も相当かかる。世間からは「意味がわからない」「売名行為だ」って、ずいぶんと叩かれました。それでも諦めず歩みを進められたのは、体力だけではなく精神力だと思っています。
―― 「懸賞生活」で鍛えられた精神力が、エベレスト登頂への挑戦を支えたんですね。
なすび:そうかもしれません。そして、エベレストでの挑戦が、今の僕の「歩き続ける」原動力にもなっています。一歩一歩の積み重ねが、どんなに高く、遠い場所にも繋がっている。それは東北の復興も、街づくりにも通ずるものがあると思います。
「みちのく潮風トレイル」1,000kmを歩いて感じた、街の体温

―― 青森県から福島県まで続く「みちのく潮風トレイル(全長約1,000km)」の全線踏破。これもまた膨大な「歩み」の記録ですね。
なすび:みちのく潮風トレイルは、東日本大震災からの復興に資するため、環境省が設定した「歩くための道」です。青森県の八戸から福島の相馬まで、津波の被害にあった沿岸部約1,000kmをくまなく歩きました。
山登りもそうですが、僕は「歩く」という行為をとても大切にしています。歩くことで、車や電車では出会えない人、見えない景色、感じられない空気の匂いを知ることができるからです。
―― 相当な距離ですが、実際に歩いたときに、印象的だったことは。
なすび:真冬の厳しい時期にトレイルを歩いていたとき、膝丈まで積もった雪をかき分け、動物の足跡を頼りに進んだことがありました。僕は東北の今を多くの人に知ってほしくて、SNSで発信しながら歩いていました。
すると地域の方が、「なすびさんに会いたくて探し回ったよ!」とお弁当を持って届けに来てくださったんです。歩いていると、「なすびさんのエベレスト挑戦で、私たちも元気と勇気をもらってるから、諦めないで挑戦を続けてほしい」という温かい声援もたくさんいただきました。
―― まさに、車では出会えない人との交流ですね。みちのく潮風トレイルで、おすすめのスポットはありますか?
なすび:僕が観光大使を務めている岩手県普代村にある「普代水門」は、ぜひ訪れてほしい場所の一つです。高さ15.5m、長さ約200mの巨大な壁。これがあったから村が救われたことから「奇跡の水門」と呼ばれています。
過去の大震災・大津波(1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震)で多数の被害者がでた苦い経験から、当時の村長さんが批判を浴びながらも「二度と悲劇を繰り返さない」と信念を貫いて造ったものなんです。

―― 普代水門には、そんな背景があるんですね。
なすび:その歴史を知り、自分の足でその高さを見上げると、ただのコンクリートの塊が、人々を守る「意志」に見えてくる。こういう発見は、やっぱり歩いてみないと得られない感覚です。
日本には古くから熊野古道や、四国巡礼・八十八箇所などがありますね。みちのく潮風トレイルは、海外メディアが取り上げたことをきっかけに、今ではインバウンドの観光客も増えています。数カ月かけて自然の中を歩くトレイルの文化が、海外では盛んですし、注目され始めています。
実直なつくり手たちが守り続ける、福島のおいしい食文化

―― ここからは、なすびさんの生まれ故郷・福島の魅力を教えてください。県内で、特におすすめの場所はどこですか?
なすび:福島市内を一望できる信夫山の「烏ヶ崎(からすがさき)展望台」です 。新幹線が走る街並みの向こうに、安達太良山や吾妻山が見える。子どもの頃は何とも思わなかった景色ですが、大人になってから改めて訪れると、その素晴らしさに気づかされます。

―― 福島の「食」についてはどう感じていますか?
なすび:福島はお米や果物、野菜など、農作物が本当においしいんです。でも面白いのは、桃にしてもお米にしても、なかなか全国1位にはなれないんですよね。いつも2位とか3位。でも僕はその奥ゆかしさこそが、福島らしいなと感じています(笑)。
福島県は西から順に「会津」「中通り」「浜通り」の三地域に分かれていて食文化にも違いがあるんです。それぞれの風土に合った良いものを実直につくり続けるところが、福島の魅力だと思っています。
―― おすすめのローカルフードは何ですか?
なすび:福島県は喜多方ラーメンが有名ですが、白河ラーメンもおすすめです。「とら食堂」という老舗の初代店主がつくるラーメンが評判になり、彼のもとに弟子入りした人たちがのちに独立していきました。今では白河市内に白河ラーメンの店が100軒以上あります。

福島市内なら、フライパンで円盤状に焼かれた「円盤餃子」をぜひ食べてほしいですね。戦後の流れの中で生まれたと言われていますが、今では多くのお店で楽しめる福島の味です。
他にも、福島の銘菓といえば「ままどおる」や日本三大饅頭の1つである「薄皮饅頭」、「かんのや」の「家伝ゆべし」も美味しいですよ。おいしいものを挙げるとキリがないので、ぜひ福島を訪れてご自身でお気に入りを見つけてほしいです。
今までの福島にはなかった新しい可能性

―― 震災から15年が経ち、東北の街並みも大きく変わりました。なすびさんは、生まれ育った福島の景色をどう見ていますか?
なすび:福島駅前は、長年親しまれてきたデパートやホテルが老朽化や撤退で取り壊され、今は建物が何もない状態です。昔からの景色を知っている住民としては残念な部分もありますが、逆に言えば、再開発前の「今しか見られない景色」でもあります。
また、津波や原発事故の被害が大きかった沿岸部(浜通り)は、人口減少が深刻です。避難を余儀なくされ、戻ることがかなわなかった方々の痛みは15年経っても消えません。
一方で、今までの福島にはなかった「新しい光」も確実に差し込んでいます。「ここでなら新しいことができるかもしれない」と可能性を感じて移住してくる若者たちがいます。
―― 被災地という側面だけではなく、新たな挑戦をするフィールドにもなっているんですね。
なすび:一度人が離れてしまった地域だからこそ、理想の暮らしをゼロから創り、未来を切り拓こうとするエネルギーが生まれているように感じます。
福島は、震災という大きな出来事を経て、今まさに新しい物語を紡いでいる最中です。新幹線や車でビューンと通り過ぎるのではなく、ぜひ自分の足で少しだけ歩いてみてください。一歩ずつ歩くことでしか出会えない、人のあたたかさや街の息吹を必ず感じてもらえるはずです。

お話を伺った人:なすびさん
俳優・タレント。「進ぬ!電波少年」の懸賞生活でブレイク。東日本大震災で被災した故郷・福島県の復興を願いエベレスト登山に挑戦し2016年、4度目の挑戦で登頂に成功。また復興の支援として開通した「みちのく潮風トレイル」も踏破。以降、能登半島など被災地域の情報発信と応援を続けている。あったかふくしま観光交流大使、山の日アンバサダー、石川県観光大使、普代村観光大使などを務める。
Instagram @nasubi8848
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編集:ピース株式会社
