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逃げて戻って

鈴木俊太郎「「集落の男性は瀕死の重傷」「犬が死骸で…」アマゾン奥地に暮らす“イゾラド”が10年ぶりに出現…攻撃的な態度を見せたワケ」https://bunshun.jp/articles/-/83614
鈴木俊太郎「「現場に散弾銃が2丁あった」“イゾラド”が100人超の集団で出現→集落の男性を矢で攻撃する直前に起きた“ある事件”とは」https://bunshun.jp/articles/-/83615


NHKスペシャル『イゾラド 最後の森の奥で』*1


 文明社会と接触したことのない、未知なる人々「イゾラド」。2024年10月、南米アマゾンの深い森の奥に暮らす彼らが大集団で10年ぶりに現れた。さらに、10年ぶりに現れた彼らの様子は、大きく変わっていた。森に、そしてイゾラドに一体何が起きているのか。
最初のテクストから引用;

19世紀の終盤、アマゾン川流域に広がったゴム農園。白人の農園主が先住民を捕らえては、厳しい労働を課した。病原菌の免疫がない先住民の間で伝染病が流行し、多くの人が亡くなったという。

 ゴム農園で働かされていたロメルの先祖は、ある日、苦しさに耐えかね、農園主を殺害。自由を求めて逃げ出したという。このとき、上流の街に逃げた一団から離れ、森の中に逃げ込んだ人たちがいた。その一部がイゾラドとなり、今でも森で暮らしているのだ、とロメル*2たちは教えられてきた。

その後、街で暮らし続けたロメルたちだったが、30年前、先住民の土地の権利が認められ始めたことをきっかけにして、元々暮らしていたとされる場所に「モンテ・サルバード」を建設。バナナやキャッサバなど農作物の栽培と、狩猟、釣りを中心に、自給自足に近い生活を始めた。2002年には先住民居住地に認定され、集落とその周辺は、住民以外が木材を伐採したり狩猟や漁をすることを禁止した。人々はかつてのような“森での暮らし”への回帰も目指した。同じ時期、政府はイゾラドが暮らす森を「保護区域」に指定。こちらは、外部の人間の立ち入りを一切禁じた。

 そして10年前。ロメルたちの目の前に、ついに彼らが現れたのだ*3

「イゾラドはもういないと言われていたから、出会うなんて思ってもみなかった。彼らが現れた時、“どこから来たの?”と聞くと“この川の上流から来た”と、集落と同じ先住民の言葉で答えた。びっくりしたし、感動もした」と当時をしみじみと振り返るロメル。

「イゾラド」とは固有名詞ではなく、〈孤立した〉という普通名詞だろう。英語でいえば、isolatedか。でもIsoladは葡萄牙語であり、ペルーならば西班牙語の筈だ(aislado)。これはブラジル国境に近いからか。
番組では少し出てきたが、彼らは「マシコ・ピロ」。しかし、これは自称ではなく、差別的なニュアンスを有している。

「マシコ・ピロ」の名は、1687年に宣教師が近隣の先住民ハラカムブット族に言及する際、ピロ語で「野蛮人」を意味する蔑称"Mashchcos"を用いており、これが初出とされる。マシコ・ピロ族も意味を理解しており、この呼称を好まない。 このように、「マシコ・ピロ」は当該の部族を指して外部の人間が便宜的につけた名称である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%AD%E6%97%8F
さて、ロメル氏の語りによれば、「ゴム農園」を逃げ出して、「街」に移ったのが自分の先祖で、「森」に逃げたのが「イゾラド」或いは「マシコ・ピロ」の先祖だった。しかし、Wikipediaの記述にはそうしたことが反映されずに、典型的な〈未接触部族〉の語りとなっている;

太古の昔よりアマゾン川流域で生活している狩猟採集民族で、大昔には近隣地域にて生活していた多民族との交流などもあったと思われるが、以降数千年間において外部との接触を絶ったとされており、その存在については早くから知られていたものの詳細はつかめていなかった。数千年間、森の奥から出てくることはほとんどなかったと言われるが、1980年代になり、アマゾン川の支流を船で航行していた者の中で、川岸付近に出てきているマシコ・ピロ族と思われる民族を目撃したという情報が数多く寄せられるようになったことでその存在が明らかとなり、以降、外部から接触を試みる者が増えていった。 当初は付近を通る船を襲撃して農作物を奪ったり、対岸の村を襲撃して略奪したりしていたようだが、次第に外部からの接触に積極的・友好的に応じるようになっていったという。
因みに、今引用した部分、一切論拠が示されていない。しかし、英語版のWikipediaでは、「ゴム農園」における虐待や虐殺と逃走の話が描かれている;

In 1894, most of the Nomole tribe was slaughtered by the private army of Carlos Fitzcarrald, in the upper Manú River area. Many Mashco-Piro natives were also enslaved by Fitzcarrald's foreman Carlos Scharff between 1897 and 1909 along the Purús and Madre de Dios Rivers.The survivors retreated to the remote forest areas. The sightings of the Nomole tribe members increased in the 21st century. According to the anthropologist Glenn Shepard, who had an encounter with the Mashco-Piro in 1999, the increased sightings of the tribe could be due to illegal logging in the area and low-flying aircraft associated with oil and gas exploration.
https://en.wikipedia.org/wiki/Mashco-Piro
番組の中ではあまり語られないが、ロメル氏は「イネ族」である。記事では、「先住民、イネ族に伝わる伝統文様の入ったTシャツに身を包んだロメル・ポンセアーノ」と描写されている*4

マシコ・ピロ族はアラワク語族の一派であるピロ語の方言、マシコ・ピロ語を話し、流域に住むイネ(Yine)族などの部族と共通の言語・民族性を持つとされる。イネ族の住民によると、8割ほどの単語に共通性があるが、一部はイネ族の長老に訳してもらうという。
「アラワク語族」は「新世界において最大の規模を誇る語族」であり、「既に死語となったものも含めればアラワク諸語の話される地域はグアテマラベリーズホンジュラスニカラグアアンティル諸島、仏領ギアナスリナムガイアナベネズエラ、コロンビア、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ボリビア、ペルーと非常に広域にわたる」*5
「マシコ・ピロ」は「 文明社会と接触したことのない」といいながらも、けっこうその知識が蓄積されているのではないか。
Nadia Drake「「非接触部族」マシコ・ピロ族、頻繁に出没の謎」(堀込泰三訳)*6から抜き書き;

(前略)マシコ・ピロ族は泳ぎが苦手だが、木登りに長けている。また、竹筒の中で果実を発酵させて酒を造る風習があるほか、森の植物や動物にちなんで自分たちの名前を付けると言われている。

マシコ・ピロ族は、ディアマンテに住むイネ族やその他の先住民と、共通の言語と民族性を持つ。

マシコ・ピロ族の襲撃で12月に避難したモンテ・サルバド村のロメル・ポンシアーノ村長は言う。「彼らの言葉の約80%はわかります。わからないのは、古い世代の人たちが使う言葉です」。 政府の保護官でもあるポンシアーノ氏は、マシコ・ピロ族の言葉がわからないときには村の長老に助けを求め、現代のイネ語に翻訳してもらう。


古くから変わらない言葉もある。「マシコ」だ。「野生人」あるいは「野蛮人」を意味するため、当然マシコ・ピロ族自身はこの言葉を好まない。それより、「兄弟」や「同郷の人」を意味する「ノモレ」という言葉を好む。

「彼らはマシコと呼ばれると怒ります」。ディアマンテに住むウォルディール・ゴメス氏は言う。ゴメス氏は、ハグする真似をしながら、「ノモレと呼べば、よく思ってくれます」と付け加えた。


 ディアマンテの住民の多くは、マシコ・ピロ族と共通の言語と民族性を持っているため、マシコ・ピロ族のことを兄弟のようにとらえている。それでも、両グループの関係は複雑で、必ずしも友好的だったわけではない。有名なエピソードがある。1970年代中盤、ディアマンテのサントス・バルガス氏らが、リオ・ピンケン川近くでマシコ・ピロ族に遭遇した。バルガス氏らが威嚇射撃をすると、マシコ・ピロ族は逃げた。しかし、マシコ・ピロ族の1人の少年がつまづき、転んでしまった。

「河岸で兄と、木に登って遊んでいたときのこと。急に、たくさんの人に囲まれたんです。泳げる兄は、川に飛び込んで逃げました」と、柔和なほほえみと鋭い目を持つ長身でおおらかなアルベルト・フローレス氏は当時を振り返る。

 バルガス氏らはフローレス少年をディアマンテに連れて帰った。フローレス少年は、そこでバナナとマサト(キャッサバを発酵させたビール)に出会う。8カ月後、バルガス氏はフローレス少年に、家に戻るチャンスを与えた。しかし彼は、森での移動生活よりも、ディアマンテでの暮らしを選んだ。

「こっちのコミュニティのほうがよかったんです」とフローレス氏は言う。

See also


Reuters “Uncontacted tribe sighted in Peruvian Amazon where loggers are active” https://edition.cnn.com/2024/07/17/americas/peru-mashco-piro-uncontacted-tribe-scli-intl




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