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上條恒彦

NHK長野放送局の報道;


歌手で俳優 朝日村出身の上條恒彦さん死去 85歳
08月01日 12時10分


ヒット曲「出発の歌」で知られ、ミュージカル「ラ・マンチャの男」に長年、出演した歌手で俳優の上條恒彦さん*1が先月22日に老衰のため亡くなりました。
85歳でした。

上條さんは長野県出身で、高校を卒業後に上京し、1962年に歌手としての活動を始めました。

低音を効かせた表現力豊かな歌声が特徴で、「出発の歌」が話題となり、1972年の紅白歌合戦に出場しました。

また、民放の時代劇のドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」も大ヒットしました。

上條さんは俳優としてドラマや映画で活躍したほか、名作ミュージカルにも長年にわたって出演しました。

このうち「ラ・マンチャの男」では1977年からおととしの最終公演まで牢名主と宿屋の主人の役で948回出演し、主演の松本白鸚さんを温かみのある演技で支え、2000年に菊田一夫演劇賞を受賞しました。

事務所によりますと上條さんは、先月22日、老衰のため、長野県の自宅近くの病院で家族に見守られながら、亡くなったということです。

85歳でした。

松本白鸚さん「長い間、一緒に戦ってきました。さみしい」】
上條さんが亡くなったことについてミュージカル「ラ・マンチャの男」で、長年、共演した松本白鸚さんは「残念です。長い間、ラ・マンチャの牢名主の上條さんとは一緒に戦ってきました。舞台を離れても、いつも優しく励ましてくれました。さみしいです」というコメントを出しました。


【出身地 朝日村でも驚きと悲しみの声】
上條さんが高校時代まで過ごした朝日村の関係者からは、驚きと悲しみの声が聞かれました。

朝日村によりますと、上條さんは村の出身で、高校を卒業後に上京したあと歌手や俳優として活躍しました。

平成25年に村の親善大使に任命され村の魅力発信に尽力したほか、平成30年に開かれた開村130周年を祝う催しに参加するなど、長年、村との関わりを続けたということです。

上條さんの死去について、朝日村の小林弘幸村長は「上條さんが亡くなったことを知り、とても驚きました。3年ほど前、上條さんに会ったときはお元気だったので本当に残念です。上條さんは村を代表する有名人で、村民すべてから愛された人でした」と話していました。

村によりますと、これまでのところお別れの会などは予定していないということです。


【富士見町の行きつけのレストランでは】
上條恒彦さんは上京したあと40年ほど前に富士見町に移り住んでいて、行きつけの町内のレストランでは、上條さんをしのぶ声が聞かれました。

1988年から富士見町でレストランを営む梅川英男さんは、同じころ町内に移り住んだ上條さんと家族ぐるみで親交がありました。

梅川さんは、上條さんが育てた野菜をおすそ分けしてもらったり、上條さんの自宅を訪れたりして親しく交流していたということです。

上條さんが梅川さんの店を最後に訪れたのは2年ほど前で、好きだったワインは控えていましたが、サバのマリネサラダなどを注文していたということです。

梅川さんは「突然のことで驚いています。ご家族はもちろん、宮崎駿監督とも来店してもらいました。農作業をしたり、地元の人と交流したりするなど気さくな人柄でした。ずっと現役で忙しかったと思うので、ゆっくり休んでほしいです」と話していました。

また、梅川さんの妻のこずえさんは「奥様のお誕生日に、上條さんがバースデーソングを歌っていたことを思い出します。どこでも気軽に歌を披露していて、もうあの歌声を聞けないのはさみしいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20250801/1010035671.html

上條さんについて余り語られていないのがアニメの声優としての側面だろう。宮崎駿の『紅の豚*2とか『もののけ姫*3と『千と千尋の神隠し*4とか。




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