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「歴史」か「神話」か

平藤喜久子『人間にとって神話とは何か』から。


朝鮮神話を現在に伝えるものは、大きく三種類あります。一つは文献資史料で、十二世紀に編纂された『三国史記』、そして十三世紀に著された『三国遺事』という史料に、挑戦という国の建国にまつわる神話が記されています。二つ目は碑文で、五世紀初頭に建立された広開大王碑文(現在の中国吉林省なある。高句麗の広開大王の功績を記したもの)の冒頭で、高句麗の建国神話について言及されています。また、断片的ではありますが、中国の歴史史料に朝鮮に関する記述が出てきます。
(略)『三国史記』は朝鮮半島において現存最古と伝えられる歴史書で、全五十巻から成り、高句麗を建国した朱蒙*1の神話的な物語などが綴られています。『三国遺事』は高麗の僧・一然が編纂した、古代の朝鮮について記した歴史書です。そこに「古朝鮮」の建国を伝える「檀君神話」*2が伝えられています。
点帝の子・恒雄は人間界を収めるべく地上に降りてきたとき、熊と虎に出会います。熊とと虎は人間になることを願っていたため、恒雄は彼らに試練を与えます。結果、虎は人間になれなかったけれど、熊は人間の女性になり、恒雄と結ばれます。この女性が生んだのが。檀君王倹という人物です。檀君は、庚寅の年に現在の平壌を都とする国を建て、それを「朝鮮」と呼びました。檀君が建国した朝鮮を「古朝鮮」と言います。檀君は千五百年にもわたって国を治め、千九百八歳まで生きたと言われます。(PP.139-142)

檀君の物語は、「天から神の子が降りてくる神話」、あるいは「動物を祖先とする神話」という興味深いモチーフで、神話学の分野においてしばしば研究の俎上に載せられてきました。しかし、伝承されてきた朝鮮半島では、神話以上の意味を持っています。現在に至るまで、朝鮮半島においてこの神話は、民族の歴史を語る物語として扱われているのです。
(略)一九四八年、韓国では檀君が即位した年を紀元前二三三三年と定め、その年を檀君元年とする「檀君紀元」という元号の使用がはじまりました(~六一年)。九三年には、北朝鮮の「檀君の墓」と言われるところで檀君の遺骨とされるものも発見されます。
そして檀君古朝鮮を建国したという話は、韓国の教科書では「歴史」として扱われています。韓国では教科書は「国定」で、基本的にはみな同じ教科書を使います。一九九六年の中学校の「国定」の教科書を見てみると、満洲遼寧地方と韓半島西北地方にたくさんの部族が現れ、「檀君はこうした部族を統合して古朝鮮を建国した。檀君王倹の古朝鮮建国(紀元前二三三三)に関しては、『三国遺事』にその内容が示されている」と書かれています。そして、この「檀君による古朝鮮建国の事実」は、自分たちの国が大変長い歴史を持っていることの根拠として理解されているのです。(pp.142-143)

(前略)日本は(略)一九一〇年に朝鮮*3を植民地にしました(韓国併合)。一九二二年、現地の日本政府機関である朝鮮総督府は、『朝鮮史』という公的な歴史書の編纂に着手します(一九三八年、本編全三十六巻の刊行が完了)。その際、李能和や崔南善ら朝鮮の学者は、朝鮮史の冒頭は檀君から始めるべき、と主張しました。檀君の物語は朝鮮人の間では神話ではなく歴史として受け止められてきたからだ、と。しかし日本の学者たちは、檀君の存在は年代も特定できず、あくまで神話であって歴史の文脈に置くことはできないとし、結局。檀君の話は記載されませんでした。
(略)朝鮮研究の専門家・三品彰英(一九〇二~一九七一)*4は、檀君の話は十三世紀という時代につくられたと主張します。『三国遺事』は僧が編纂したため内容が仏教的であると」いい、またそこに書かれた檀君の話も古来のものではなく、当時(十三世紀、高麗時代)につくられたものであるといいます。(pp.143-144)
しかし、日本は朝鮮神話を「歴史」から除外する一方で、日本の記紀神話を「歴史」として教育していたのだった(See pp.145-149)。
なお、平藤さんは、


「植民地帝国の神話学――昭和前期の日本神話研究を中心に」(in 竹沢尚一郎編『宗教とファシズム』)


という論攷を書いているようだ。




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