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物部系だった

長谷部将司「道鏡天皇位――「万世一系」の実相」(in 歴史科学協議会編『天皇天皇制をよむ』*1、pp.96-99)


女帝・孝謙/称徳と僧・道鏡*2を巡る騒動について。称徳天皇天皇として在位中に「出家」していた。後の世の白河や後白河は法体のまま天皇をやることはなかったけれど、孝謙/称徳はは法体のまま(院政ではなく)天皇をやっていたのだ。これって、ちょっとは驚くべきことじゃないか。実際の流れを書くと、先ず「出家」し、天皇淳仁天皇)を廃し、自分が(還俗もせずに)天皇として復活(重祚)したという次第である。法体の天皇である自分に対応する仕方で、道鏡を法体の「太政大臣」に任じ、さらに「法王」に任じた(pp.96-97)。先ず称徳は「世俗の王=天皇」と同時に「仏教界の王=法王」であった。そして、「道鏡の法王就任は、称徳自身が有する天皇としての権威の半分を道鏡に譲ったことを意味する」(p.98)。
さて、「宇佐八幡神託事件」である。宇佐の「八幡神が「道鏡を[天皇として]即位させれば天下太平になる」殿託宣を下したという報告が、太宰主神の中臣習宜阿曽麻呂によって朝廷に届いた」(ibid.)。称徳は和気清麻呂を宇佐に派遣するが、清麻呂は「道鏡の即位を否定する別の託宣を持ち帰った」。称徳は清麻呂とその姉(法均尼)を追放するが、最初の託宣に従って、道鏡皇位を継がせることもしなかった。長谷部氏は「神託事件」に最初から「道鏡や称徳が積極的に関与していたとは考え難い」といい、「事件を主導したのは阿曽麻呂・八幡神職集団」だろうという。さらに、道鏡のような非皇族が天皇になってもよいと考える人たちと(和気清麻呂のように)皇族でなくては天皇にはなれないと考える人たちがいたという(ibd.)。
ところで、「中臣習宜阿曽麻呂」という名前を見て、藤原の母体となった中臣の勢力が宇佐にまで伸びているのか、と思った。しかし、「中臣習宜氏は物部氏の一族」だったんだね*3




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