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改耕碑

2024年3月10日。


改耕碑

農商務大臣従三位勲一等山本逹雄*1

市川市八幡2丁目*2


改耕碑

昔の菅野・須和田の地域は、アシ・スゲ等が密生し、雨が降り続くと、すぐ浸水する低湿地だったため、多くはそのままに放置されていました。また、周辺の地域でも田畑が細分され、灌漑用の水路も整わず、耕作にも不便で増産の効率が悪かったのです。
ところが、日露戦争(明治三十七・八年の戦役)後、食糧の増産が叫ばれるようになると、この地域でも、耕地整理による土地改良の必要性が唱えられはじられました。そして、明治四十四年(一九一一)、やっと当時の八幡町を中心に、市川町・中山村・行徳町・国分町・大柏村(以上市川市)・八柱村(松戸市)・鎌ヶ谷村(鎌ヶ谷市)・法典村・葛飾村(以上船橋市)の十か町村で耕地整理組合を設立することができ、翌四十五年から。この広範な地域の耕地整理事業が着手されることになりました。
この耕地整理によって、真間川*3の改修と低湿地の埋立が行なわれ、さらに、八幡町と中山村の境となって原木から東京湾に流れ込む境川(真間川)を改修し、菅野で真間川と接続させたため、湿地の排水が促進され、須和田・菅野の土地が耕地として、生まれ変わるようになったのです。
こうした大事業の完成を記念して建てられたのが、この『改耕碑』で。大正九年(一九二〇)十月十五日、葛飾八幡宮*4境内の、この地で竣工式が行われました。
しかし、時代に推移により、このようにしてつくり出された田畑も、今日ではそのほとんどが宅地化されております。

昭和五十六年三月
市川市教育委員会




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