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「戦争」が消えたのは

佐藤いぬこ「昭和遺産を愛でる時に」https://narasige.hatenablog.com/entry/2025/05/15/114427


曰く、


私は昭和の豪華な建物や映画を見ると、《豊かさのコスプレ》を感じることがあります。飢えを経験している時代ゆえの、痛々しいデラックス感というか。

今後は昭和遺産を見る時、当時の人の気分になって「浮浪児の群れに絶望した人々の何人が、今日の繁栄を想像できたであろうか?」と、つぶやいてみようと思います。(心の中で、昭和のアナウンサーの声で)

「 浮浪児の群れに絶望した人々の何人が、今日の繁栄を想像できたであろうか」というのは1967年に刊行された『毎日グラフ 太平洋戦争名画集』に掲載された「三菱自動車」の広告のコピーの一節。全文を写してみると、

くるまのある幸せ

戦争、敗戦。再建と激動のうちに明けくれした20有余年、今日の日本の高度成長は、世界の奇跡といわれているが、モータリゼーションのテンポも、また世界に類例をみない驚異的な速さである。
焼け跡を走りまわる米軍のジープにおどろき、野良犬のように、食糧をあさる浮浪児の群れに絶望した人々の何人が、今日の立ちならぶ高層建築群、洪水のように路にあふれる自動車を想像できたであろうか。

このコピーはあ「焼け跡を走りまわる米軍のジープ」や「野良犬のように、食糧をあさる浮浪児の群れ」を知っている人が読むことを想定されていたし、コピー・ライターがそうしたものを知っていた可能性も高い。

習志野市は旧日本陸軍の〈門前町〉として都市化された町であり、戦争の痕跡がそこかしこに残っていた筈である。それが消えたのは1970年代に入ってからか。その頃には、旧軍の鉄道連隊の演習線の線路*1が撤去された*2。また、1967年か68年の記憶なのだが、小さなユニットが沢山あるコンクリートの廃墟があった。戦前のものらしかったけれど、いったい何の廃墟なのかは分らなかった。陸軍騎兵連隊の厩舎の跡だったと知ったのはかなり後のことである。その廃墟は1970年くらいにはもう撤去され、順天堂大学のテニス・コートになり、現在は「パークグランデエデナ」*3という団地の敷地の一部である。




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