中村圭志『死とは何か』*1から。
仏陀(釈尊)の死。
では、釈迦が死んだとき、つまり愛する師との別離の現実をつきつけられたとき、弟子たちはこれをどう受け止めたのであろうか? 釈迦はブッダだから定義上転生しない。しかし涅槃(大般涅槃)に入るというがどういうことなのか。弟子たちにとっても我々読者にとってもまったくの謎である。最初期の教団においては、涅槃入りした釈迦を神のような存在として語る神話は未発達である。弟子たちはむしろ、死との別れを完全なる喪失と認識して悲嘆した。その悲嘆の様子が、初期仏典の『マハーパリニッバーナ・スッタンタ(大般涅槃経)』に記録されている(これは大乗経典の『涅槃経』とは別である)。(pp.174-175)
ともあれ、開祖時代の仏教では、「浄土でみんなが再会できるから安心しなさい」のような教えは説かれなかったし、後世の『法華経』のように、釈迦を永遠の存在というふうに表象することもなかった。涅槃入りした釈迦はキリストのように再臨することもなく、仏教では一般信徒が終末のときに復活することもない。輪廻とは人々をばらばらにするものであり、解脱とは二度と生まれないことだから、ここには分離や絶縁があるばかりである。死の本質は分離、絶縁に他ならず、それを苦に感じる気持を解体するのが、仏教の提供する救済なのであった。(pp.176-177)