傳田光洋「痛みから始まる「物語」の発見」(in 梨木香歩『椿宿の辺りに』*1、pp.370-376)
傳田氏が先ず注目するのは「痛み」である。
痛みは孤独だ。
あるいは、痛みは自分が孤独であることに気づくきっかけになる。そして、それは自分だけの物語を見つける道を示す。(p.370)
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現代医学も、痛みのメカニズムがすべて解明されているわけではない。前世紀末、痛みの受容体が発見され、二〇二一年のノーベル医学・生理学賞を受賞したが*2、一方で、脳科学の分野で古くから知られている幻影肢という症状がある。事故などで手や足を失った人が、無いはずの手足に痛みを覚える。これは多分、脳が、失われた手足があると誤解した結果だろうが、そうなると、痛みは、それを感じる部位にあるのか脳にあるのかわからなくなる。(p.371)
また、
科学的論理で考えても、一人の人間は、あるいは、その痛みは、その人個人だけが責任を負わねばならないものではない。受精卵の遺伝子は過去四十億年ほどの天変地異の歴史を負っている。受精卵が新生児になる過程では母体を通して世界の影響を受ける。誕生してからの成長では言うまでもない。長い歴史を経て築き上げられた多様な風土や社会のありようが個人のなりたちに関わっている。近年の脳科学、認知科学もそれを肯定している。個人とその命は、時空を超えた無数の出来事からなる現象だ。その痛みや苦しみは個人だけで担えるものではないだろう。(pp.373-374)
先年、パリとニューヨークの脳の研究者たちが興味深い報告をしている。異なる場所にいる人でも同じ小説を読んでいると、心拍数が同期するというのだ。この結果から想像できることは、例えば『源氏物語』を読むことで、千年前の紫式部個人の物語を今のぼくたちが文字通り身体で感じることができるということだ。小説という表現方法が長く広く世界で親しまれてきたのは、それが一時代の「常識」のしがらみから個人を解放し、自身の物語を見出すきっかけを提供するからではないだろうか。(pp.375-376)