ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(鴻巣友季子訳)*1第1部「窓」第17章から。
リリー・ブリスコウの思考。
その「まわりの会話」として、次のパラグラフには、「イギリス人がコーヒーと呼ぶあの液体( that liquid the English call coffee)」(p.186)が出てくる。
物事というのは、かくも複雑なものだった。ことにラムジー家に滞在中、リリーは相反する熾烈な気持ちをいちどきに感じるという体験をさせられていた。あなたはこう感じる、その一方、わたしはこう感じる、ふたつの感情はいまみたいに、胸のうちでぶつかりあう。一方では、この恋なるものをかくも美しく、めくるめくものであり、自分まで恋に落ちそうになって震えながら、まったく柄にもなく、浜辺でのブローチ探し*2を手伝いましょう、などと申しでる。その一方、恋とは人間のもつ情熱(human passions)のうち、最もおろかしく、野蛮なものであり、宝石さながらに繊細な顔立ちの好青年(ポールはたいした美形だった)を、バールをふりまわすマイル・エンド・ロード*3あたりの暴れ者に変えてしまう(じっさいはふんぞり返って礼儀を欠いていた)という思いがある。それでも、と、リリーはまた思い直す。世の黎明から今日まで、恋には数々の頌歌が捧げられてきたし、あまたの花飾りやバラの花がうずたかく積みあげられてきたじゃないの。それに、もし男たちに尋ねてみたら、きっと十人中九人が、恋さえ手に入れば他にはなにも望まないと答えるだろう。かたや女は――自分の経験からいって――いつもこんなふうに感じているものだ。「これはわたしの望むものとは違う。恋ほど退屈で、幼稚で、非道なものはないわね。とはいえ、恋は世にも美しく、人間に欠かせないものでもある」だったら、さあ、だったらどうする?この議論の続きは他のメンバーにやってもらおうとでも言うように、リリーは問いかけた。こういう議論では、ひとりが精一杯ささやかな矢を放っても、明らかに的には遠くおよばず、他の人たちに先へと射ってもらうしかないのだ、という心もちで。リリーは。もしや恋という問題になにがしかの答えが得られるのではないかと期待して、ふたたびまわりの会話に耳をかたむけた。(pp.185-186)
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/10/11/155402 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/21/203840
*2:第14章、p.138ff.を参照。
*3:See eg. “A Walk Down The Mile End Rd”https://spitalfieldslife.com/2014/05/26/a-walk-down-the-mile-end-rd/