熊倉功夫『後水尾天皇』*1から。
「禁中幷公家諸法度」(1615[元和元年]年)と「その伏線」としての「公家諸法度」について。
鎌倉幕府以来、武家政権の時代が約四百年つづいているが、禁裏に対して法制を発布した例はない。徳川幕府が元和元年に発した 禁中幷公家諸法度は「本朝代々の将軍家に於いて、前代未聞の御事」(『岩淵夜話』)といわれるように、画期的な法だった。(略)慶長十八年六月十六日の公家諸法度は五ケ条よりなり、第一条に公家のつとめとしての家々の学問をあげ、第二に法令に背いたなら流罪に処すことを明らかにし、第三条に禁裏の勤務励行を、第四、五条でかぶき者的な、公家に似合わぬ行動の禁止を令している。後半は、以前に自己規制を要求した内容と重なるが、はじめの一、二条は、公家方の政治介入を禁じ、幕府の公家支配を明文化したものとして、まさに「前代未聞」の法の前提となるものである。
幕府側には、この五ケ条では簡略すぎるという反省があったようだ。以来、法令作成の準備をすすめ、大阪夏の陣後の元和元年七月十七日、京都二条城において発布したのが 禁中幷公家諸法度である。十七条の憲法にならって十七条よりなり、(略)第一に天皇の任務、第二に三公(太政大臣、左・右大臣)、親王、大臣の席次とその任にあたる者の資格を論じ、第三に贈位贈官の規制と特別規定、第四に改元、天皇以下の服制などで、法度に背いた場合は流罪に処せられるべきことが定められている。天皇の任務を定め、あらためて幕府による処罰の権を明文化したのは、さきの公家諸法度の適用を天皇に拡大したものであるが、その他に重要な規定は(略)武家官位を公家官位から分離したこと、三公以下の任官について幕府が介入しうる道を確保したことなどがあげられる。(pp.57-58)
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/17/202404 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/24/171947 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/27/103817 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/30/144630 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/05/203314 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/09/202100 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/14/142245