揖斐高『頼山陽』*1を読了したのは今月の初旬のことだったか。
この本で特徴的なことのひとつはその構成である。第1部(1章から6章まで)は頼山陽の伝記であり、第2部(7章から15章まで)では伝記から離れて山陽の著作に焦点が当てられ、第3部(16章)では再び伝記に戻り、さらに山陽の死後についての記述がなされている。
はじめに
I
第一章 生いたち
第二章 脱藩逃亡
第三章 回生の一歩
第四章 西国遊歴
第五章 罪を償う
第六章 山紫水明の愉楽II
第七章 山陽詩の形成
第八章 『日本外史』への道
第九章 『通議』と『日本政記』
第十章 「勢」と「機」の歴史哲学
第十一章 歴史観としての尊王
第十二章 地勢から地政へ
第十三章 『日本外史』の筆法
第十四章 三つの『日本外史』批判
第十五章 『日本楽府』――詩と史の汽水域Iii
臨終その後
あとがき
この構成について、「あとがき」から引用してみる;
また、山陽の「史」と「詩」を巡って、「はじめに」から段落を引き写しておく;
(前略)新書の一冊という枠があり、まずは入門的な評伝としてまとめようと考えたが、どのような構成にすれば山陽像を明快に伝えることができるかについては、かなり悩むところがあった。(略)中国由来の伝統的な史書の体例には、大きく分けて編年体と紀伝体の二つがある。編年体とは年月の順を追って歴史を記述する体例であり、紀伝体とは「本記」「列伝」という個人の伝記に、「表」(年表・系譜)や「志」(天文、礼楽、地理、藝文などの部門別の歴史)を組み合わせて一代の歴史を記述する体例である。
本書を山陽の評伝として執筆しようとした私は、初め編年体を基本にしたシンプルな構成を考えてみたが、伝記を紹介しつつ漢詩人としての山陽と歴史家としての山陽を総合的に描くには、編年体という体例では難しいことに気づかされた。山陽の漢詩人としての自己形成と詩の特徴、『日本外史』など主要著作の成立事情とその問題点を、編年的な伝記記述の中に織り込もうとすると、記述がおのずからアンバランスなものになりそうな一方で、一つの著作についての分析や批評が別々の箇所に分散して記述されることになり、結果的に散漫な分かりづらい評伝になってしまうことが予想されたからである。
そこで、全体を編年体で押し通すことは諦め、紀伝体を意識しつつ、第I部を伝記、第II部を著作論、第III部を総括という構成で一書にすることにした。(略)こうした構成を採用した結果、一つの史料を何箇所にも引用し、同じような記述を繰り返すことになってしまったという反省はあるが、やむを得ないことだった。(pp.295-296)
山陽は『日本外史』を著述するにあたって、歴史を展開させる原動力が人知を超える「勢」であることを常に意識していたが、それとともに歴史を現実化するのが人間であることを重視して、歴史における勝者と敗者の姿を具体的に描き、その心情にも分け入ろうとした。山陽は江戸時代を代表する漢詩人の一人であり、内村鑑三も回顧したように、その詩は人々に愛誦された*2。山陽の詩人としての洞察力と表現力は、『日本外史』における生き生きとした人物描写を可能にし、読者を熱狂させた。しかし、そのことによって『日本外史』は歴史を客観的に再現しようとした史書ではなく、歴史上の人物を主観的な判断に基づいて描いた文学作品に過ぎないという、負の評価に見舞われることにもなった。(p.iv)