数日前にスティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』*1(岸本佐知子訳)を読了した。500頁を超える大長篇小説であるとはいえ、読了に半年近くかかったことになる。まあ、その間に全く読まなかったブランクが2か月くらいあるのだけれど。
11歳で夭折した作家「 エドウィン・マルハウス」の伝記『エドウィン・マルハウス――あるアメリカ作家の生と死(一九四三~一九五四)』を、エドウィンの生まれたときからの幼馴染で、小学校の同級生でもあった「ジェフリー・カートライト」が1955年にものし、ジェフリーと小学六年生のときに同級生だった「ウォルター・ローガン・ホワイト」が1965年に「コロンビア大学の近くの陰気な古本屋の棚」で発見し(p.8)、1972年に復刊したという設定の小説。つまり、ノンフィクションを装ったフィクションである。そこで思い出したのだけど、11歳の「エドウィン・マルハウス」が自らの人生を一篇のフィクションとして観念していた(と「ジェフリー・カートライト」によって書かれていた)ということである;
また、「ウォルター・ローガン・ホワイト」による「復刻版によせて」(という設定の箇所)に気になったところがあったので、(長文ではあるけど)抜書きしてみる;
エドウィンの自殺観は徹底した美学に貫かれていた。少なくとも、それから数日間にわたる彼の混乱した言葉を総合するかぎり、そう思えた。彼を魅きつけたのは自殺という行為そのものよりも、むしろその行為によって彼の人生全体が獲得するプロットのほうだった。「小説を書いている時って、最後がどうなるかちゃんとわかっているだろ」月の光を浴びつつ、エドウィンは考え考え言った。「人生もそんなだったらって思わないか。そうすれば、きっと毎日が――特別になると思うんだ」そう、彼を魅了したのはプロットだった。彼は、常に跳ね回り、予想のつかない動きをする人生というものを、芸術という名のガラスの球に閉じ込めたいと願っていた。(後略)(pp.480=481)
いっぽう、ジェフリー・カートライトの捜索は依然として続けられている。私としては我がこのまま見つからないことを祈るばかりである。エドウィンの小説が一九六九年、ハーヴァード大学のチャールズ・ウィリアム・ソーンダイク教授の令嬢によって発見されたことをご記憶の方も多いだろう。こともあろうに子供図書館で! エリザベス朝の子供に関して優れた著作のあるソーンダイク教授が、ピンクのスモックに黄色いお下げ髪の小さな女の子たちに混じってエドウィンの本に読みふけっている姿は、何ともほほえましい後継だったに違いない。『まんが』は実に数奇な運命をたどってきた。ある不可解な思い違いから子供向け(八歳―十二歳)の本として出版されてしまったため、子供には読むことができず、大人からは読まれなかったのだ。ソーンダイク教授は『まんが』を、”非凡な才能の手になる作品”と評しており、彼の人柄からしてそれが決して誇張ではないことを信じてはいる。けれども私は、エドウィンの作品を読みたいという誘惑を固く退けている。なぜなら、仮にそれがいかに非凡な才能の手になる作品であったとしても、ジェフリーの伝記を読むことによって膨れ上がった私の期待を、実物の本が上回るとは思えないからだ――ちょうどジェフリーがたとえ姿を現したとしても、実物の彼が私の期待を上回ることが決してあり得ないのと同じように。いつかは誘惑に負ける悲しい日が来るかもしれない。だがその日まではこの伝記の輝かしいページの中で、エドウィンの天才は翳ることなくきらめき続けるのだ。心残りなのは、エドウィンの作品が彼の人生ほどの名声を勝ち得なかったことだけである。(pp.8-9)