合田正人*1『吉本隆明と柄谷行人』から。
吉本隆明は敗戦直後の1945年に数学者遠山啓の講義を受講し、そのことについて、1949年に「詩と科学との問題」というテクストを書いている。合田氏は、このテクストに「吉本に取り組むための最も大事な入口があると確信している」という(p.36)。
[「量子論の数学的基礎」と題された]講義ではまず「非ユークリッド幾何学」のことが紹介され、次いで「数学の認識的基礎を根底から脅威したと言はれるカントル[カントール]*2の集合論に出会つたのは確か秋のことであつた(同五ページ)*3。続いて吉本は、ゲオルク・カントール(一八四五~一九一八)が一八九五年に提起した「集合」(Menge)の定義をドイツ語で書き記している。吉本が二度と繰り返さない身振りである。(pp.37-38)
Eine Menge ist eine Xzusammenfassung bestimmter, wuhlunterschiedener Objekte unserer Anschaung oder unsers Denkenwelche die Elemente der Menge genannt werdenzu einem Ganzen. [集合とは、われわれの直観もしくは思考〈思惟〉の、ある一定の、整然と秩序づけられた諸対象(それらは集合の要素と名づけられる)の、ひとつの全体への統合のことである] *4 (同六ページ)
「僕は数学といふ純粋科学の領域に〈直観〉と〈思惟〉とが導入される様を判つきりと知つた」( 同六ページ)と、そこにある、カントールからヒルベルト(ダフィット・ヒルベルト[一八六一~一九四三]的な公理主義への途を辿ることなく、吉本は、カントールにあっては、高度に抽象的とみなされているものがきわめて具体的で、身体的とも言える「経験」の対象であることを重視しているのだ。これはその後の吉本の、思想家としての姿勢の根幹に関わる教えであったと言える。(p.39)
後の議論のために二つのことを付け加えておこう。一つは、吉本はここで「現象学」のことなど意識していなかっただろうが、エトムント・フッサール(一八五九~一九三八)が『イデーンI』(一九一三年)の自身による「あとがき」(一九三〇年)で、このような「経験」に「超越論的経験」という逆説的名称を与えていることである。
第二は、カントールが「直観」もしくは「思惟」と言っているところを強く取ると、「直観」と「思惟」はイマヌエル・カント(一七二四~一八〇四)における「感性」と「知性」に対応していること。(略)「感性」と「知性」の関係は、カントにとっては、むしろ両者を日本の分肢とする「構想力」(Einbildungskraft)に依存していた。「構想力」はその語が示すとおり「像」(Bild, image)を再生または産出する能力のことであるが、「像」(イメージ)は吉本の思想的営為を貫く観念であるのみならず、『日本近代文学の起源』(一九八〇年)*5での柄谷が「風景」の観念を提起したときにも、「構想力」「像」の問題系が、実は問われていたのだった。しかも、同署には、「吉本隆明のいう『大衆の原像』も同様であって、それはまさに『像』として存在するだけである」(『定本・日本近代文学の起源』四〇ページ、岩波現代文庫)という言葉が記されているのである。(後略)(pp.39-40)
(前略)「集合論」においては、たとえば「合田正人」は、ある高校の卒業生であるとか、性別や血液型、現時点での国籍など、ある「集合」に属しており、そのつど異なる他の要素との関係をもたされる。「個体とは何か」という問いとの関係がすでに問題になるところだが(略)ここでは「合田正人」は何らかの関係(関数、役割)によって複数の集合に、さらにはそれらの集合のあいだの関係に属することになる。
この意味では、集合論は、物理学者のエルンスト・マッハ(一八三八~一九一六)の原理――「ある一つの物質の質量は宇宙の他のすべての物質の相互作用によってのみ生じる」――や、哲学者のエルンスト・カッシラー(一八七四~一九四五)によって唱えられ、近くは廣松渉(一九三三~一九九四)が縦横に論じた「実体から関係[関数]へ」の思想的転回と方向を同じくする物の見方だった。そして、若き吉本も、カントールの集合論から、「関係」というキーワードを掴み取っている。吉本が『マタイによる福音書』をめぐる論考(「マチウ書試論」*7、一九五九年『芸術的抵抗と挫折』所収)で提起する「関係の絶対性」なる考えも、集合論の衝撃にその源泉の一つを有していたと言ってよいだろうが、注目すべきは、「詩と科学との問題」ですでに吉本は、関係の問題を「言語の構造」「言葉も組み合わせ」の問題と連動させていたということだ。曰く、「その組合はせ[言葉の無数の組み合わせ]*8は、自然界に生起するあらゆる現象がエントロピー増大の原理に従ふやうに〈意味〉といふ原理を喪失することが出来ない」(同一〇~一一ページ)。(pp.39-41)
斯くて近代数学は量的因子の論理的演算の学から領域[domaine 全体集合]*6と領域の作用の学に変革されたのである。数学的な対象の性質は最早問題ではなくなり対象と対象との間の関係だけが数学の主題と変じ、論理が僕達に強ひる必然性や関係性は数学の領域でその特殊な位置を失つた。 (全著作集5「詩と科学との問題」六ページ)
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180611/1528645699
*2:これは合田氏による補足。
*3:ここで示されている頁数は、『吉本隆明前著作集』第5巻の頁数。
*4:合田氏による補足。
*5:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080618/1213764180 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090218/1234940110 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/12/11/142530
*6:合田氏による補足。
*7:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/06/12/140345
*8:合田氏による補足。