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下関にて

揖斐高*1頼山陽』によると、1818年(文政元年)3月、39歳の頼山陽は父・頼春水の三回忌法要のために広島に帰省し、そのまま1年余りに及ぶ*2「西国遊歴」を開始し(p.37)、先ず下関の豪商、広江吉右衛門(殿峰)の下に約1箇月滞在した(pp.37-39)。山陽は「壇ノ浦で入水した安徳天皇*3を祭る先帝会を阿弥陀寺で見物」したりしたが(p.38)、「この下関滞在中の出来事として特記すべきは、山陽が酒に開眼したことである」という(p.38)。「それまでの山陽はむしろ餅好きの下戸だった」(p.39)。目覚めたきっかけは「沢の鶴」だったという。沢の鶴は下関の地酒ではなく、灘の酒。
少し前まで、外来の客人に否かの地酒を吞ませるのは失礼であって、(TVでCMをやっているような)メジャーな酒*4をわざわざ誂えて客人には出すという習慣があったようなのだけど、既に江戸時代にそういう習慣はあったか?




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