畑中章宏「もう一冊の名著 高取正男『民俗のこころ』」in 『100分de名著 宮本常一『忘れられた日本人』 歩く、見る、聞く』*1、pp.106-109
高取正男『民俗のこころ』について。
「柳田*2と折口*3の「心」の民俗学と宮本の「もの」の民俗学。彼らに続いて、その両方を兼ね備えた民俗学を打ち立てたのが高取正男(一九二六~八一)*4です」(p.106)。つまり、
『民俗のこころ』は「高取の初の単著」で、1972年に朝日新聞社から刊行され、現在はちくま学芸文庫に収録されている。しかし、この本の存在は知らなかった(汗)。ただ、ここで畑中氏が「「もの」に附随する「心」」の「研究」の例として挙げている「ワタクシ」の考察は、講談社現代新書から出された『日本的思考の原型』においても行われており、私はそちらで読んだ。
宮本常一の民俗学は「もの」にまつわる技術や、それが共同体にどう寄与してきたかという研究から、「生活そのもの」の叙述に向かいました。一方、高取正男は、「もの」に附随する「心」を研究したという意味で、「心」の民俗学と「もの」の民俗学を止揚するような仕事をした人だといえます。(ibid.)
(前略)ここで言う「ワタクシ」とは、「近代的な自我の成立する以前に存在した個人意識」を表します。
日本の暮らしには、西洋のように一人ひとりの「個室」はありませんが、「ぼくのお茶碗」「わたしのお箸」というように、古くから、また小さい子どもであっても、個人用=ワタクシの食器や寝具があった。しかもそれらは「使用主の霊魂の形代であり、その分身が宿っているとみなされた」と高取は述べます。
また、女性の私有財産、すなわち「ヘソクリ」のことをワタクシと呼ぶ地方があるといい、家庭内で女性が用いる小箱(ヘソクリのしまい場所)の名称によってヘソクリを名指す――例えば、紡いだ麻糸を入れる桶(苧桶)にちなんで「オボケゼニ」と呼ぶ――慣習も多く見られるそうです(宮本常一の『家郷の訓』にも記されています。
つまり、「ワタクシというのは抽象的な名前として使われているのではなく、つねに具体的な事物に即して用いられ、家族員の私的な貯えそのものをさす言葉として使われていた」わけです。
箸や茶碗、湯呑み、枕、シャモジなど、ささやかで弱く小さなものから発生してきた「ワタクシ」は、かけがえのないものとして非常に大切にされてきました。そこには「霊力」があり「霊性」が宿ると信じられてきたのです。(pp.107-108)
ちなみに高取は、『民俗のこころ』を書く以前に、哲学者・宗教家の橋本峰雄との共著『宗教以前』を出しており、また後年、『仏教土着』や『神道の成立』といった著作も手掛けています。これらは、民俗学と並ぶ高取のもう一つの研究テーマ「宗教史」についての本で、日本人の信仰のベースにある神と仏、つまり「神仏習合」の歴史を探るものです。
高取は、古来の神祇信仰からの仏教の隔離が、宗教としての神道の成立を促したとする「神仏隔離諭」を唱えました。民俗学の著作に比べると難解ですが、私自身の研究テーマとも重なっており、そこから高取の民俗学に触れることになったのです。(p.109)
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/05/28/111753 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/06/30/110019
*4:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070301/1172726884 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090619/1245441165 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110726/1311697481 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180702/1530545357