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後鳥羽か後醍醐か?

odd_hatch*1「斎藤洋一/大石慎三郎「身分差別社会の真実」(講談社現代新書) 江戸時代の身分制は、士農工商ではなく、公家・武士-平民(農工商が含まれる)-被差別者(えた・ひにん)の三層構造。」https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/2024/04/29/090000


1995年に講談社現代新書で刊行された 斎藤洋一、大石慎三郎『身分差別社会の真実』について。
「 江戸時代の身分制は、士農工商ではなく、公家・武士-平民(農工商が含まれる)-被差別者(えた・ひにん)の三層構造」であるというのはその通りだろう。さらに、被差別者/非被差別者に還元できるだろう。重要なのは、差別/被差別というのが上/下関係には還元できないということだろう。


中世のケガレた人々は放浪する人々や工・鉱に携わる人などだったが、寺社の系列にあって聖性ももっているとみなされていた。恐怖や嫌悪と同時に畏怖を感じてもいた。しかし後醍醐天皇承久の乱によって朝廷と天皇の権威が失墜する。それに応じてケガレた人々の聖性が失われ、被差別民とされるようになったとされる。
承久の乱*2を発動したのは後鳥羽院。後醍醐*3の行ったことは一度の〈変〉とか〈乱〉とかに収まることではない。彼は鎌倉幕府を打倒し、所謂建武の新政を行い・失敗し、2人の天皇(2つの朝廷)が相争うという内乱状態を出来させた。その歴史的インパクトは後鳥羽院の「承久の乱」なんかよりもはるかに大きいといえる。また、網野善彦が指摘するように、後醍醐(とその一派)はそのプロジェクトに、後の被差別民に連なるような公武の体制の周縁にいた人々を大量に動員した(Cf. 『異形の王権』、『日本社会と天皇制』etc.*4)。故に、その挫折(南朝の敗北)が「ケガレた人々の聖性」の喪失に大きく影響したことは当然であろう。ただ、「聖性」の喪失というのは一回的な出来事ではなく、中世が近世へと向かう中で、徐々に行われていったと考えるべきなのだろう。




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