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「訪れた」ものとしての「言葉」(リルケ)

若松英輔『生きる哲学』*1第7章「待つ リルケと詩が生まれるとき」から。
『ドゥイノの悲歌』*2を巡って;


『ドゥイノの悲歌』は、完成までに十年の歳月を要した。一九一二年に書き始められ、二二年に終えられた。彼は詩を書こうとしたのではない。突然、言葉が訪れたのである。その到来に抗うことはできなかった。彼にとって詩作とは、壮年を語る言葉を探すことではなかった。言葉の到来をひたすら待つことだった。彼の創造は、書くことにではなく、待つことのなかにあった。詩人は、どんな作品が出来上がるのかを自分でも知らない。実感から言えば彼は、詩の作者であるより記録者だった。彼の秘密は、書くことよりも沈黙にあった。別な言い方をすれば、十年に準じる沈黙が、この詩を生んだ。リルケもまた、東洋の哲人と同様、聴く者だった。(p.133)

遠藤周作*3堀辰雄リルケ

(前略)若き遠藤が、師である哲学者吉満義彦(一九〇四〜一九四五)*4の紹介で堀辰雄に会い、その縁で堀の親友である神西清*5とつながり、文壇的処女作「神々と神と」を書く。そこで遠藤が最初に語り始めたのはリルケであり、『ドゥイノの悲歌』だった。(p.135)




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