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ドゥンス・スコトゥスについて少しメモ

ジュリア・クリステヴァは自分がドゥンス・スコトゥス主義者であると述べた*1。そこで、坂部恵『〈ふるまい〉の詩学』の最後に近い部分からメモ;


パースが、オッカムの唯名論を断固しりぞけ、イギリス経験論このかたの伝統にあえて逆らってまで、スコトゥス実在論に積極的に与したのは、〈ふるまい〉と深くかかわる未来の予見に関する一般観念が、とりわけ、実在の〈あわい〉に〈ふれ〉、そこに根ざすことを確信したからだった。
スコトゥスがアヴィケンナを承けて、個物をして当の個物たらしめる形相、「このもの性」(haecceitas)をあえて主張したのは、〈うつつごころ〉による自己同定と他者同定が、事物の究極との〈ふれ〉の〈あわい〉に深く根ざし、〈うつつ〉と〈ゆめ〉にあいわたりつつ、各個体のことばに尽くせぬ独自性を見て取ることを確信した故にほかならない。
スコトゥス実在論は、intellectus agens(能動知性)の概念がまさに哲学史の舞台から姿を消そうとする寸前に、いいかえれば、(カントによる)知性(悟性、intellectus)と理性(ratio)の序列の逆転へ向けての地盤が、(オッカムによって)まさに整えられんとする寸前に、ギリシア以来のnous-intellectus概念の、落日の最後の輝きとしてあらわれた想念にほかならなかった。(p.141)
引用文の中に出てくる〈あわい〉とか〈うつつ〉といった言葉たちに関しては、坂部氏の著書を直接見ていただくしかないだろう。ところで、ドゥンス・スコトゥス、Duns Scotusって、スコットランドのDunsさんという意味なので、ただスコトゥスという表記はちょっと違和感は感じる。

ドゥンス・スコトゥスについて、手許にある入門的な書物を少しラインナップしてみると、


熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』*2、第15章「神の絶対性へ」
八木雄二『「ただ一人」生きる思想』、第3章「かけがえのない個人」
Klaus RIESENHUBER『西洋古代・中世哲学史』、14「十四世紀の後期スコラ学」

また、ハンナおばさんの『精神の生活』第2部「意志すること」の12節”Duns Scotus and the primacy of the Will”も再び精読しなければならない。

さて、これに関係することだが、小田亮氏が「壁と卵」(村上春樹*3について述べている*4。勿論、「真正性の水準niveaux d’authenticité」*5を絡めて。




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