
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3までは、事例を中心にマーケティングの原則を学んできました。
Season4では、Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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1983年をピークに、日本のウイスキー市場は四半世紀にわたって右肩下がりを続けました。2008年には、販売量がピーク時のわずか6分の1にまで落ち込んでいます。*1
「重くて、高くて、おじさんがスナックで飲むもの」——。若者にとってウイスキーとは、そういうイメージの飲み物でした。バーやクラブといった主要販路はバブル崩壊とともに消え、代わりに台頭した居酒屋のメニューにウイスキーの居場所はありません。*2 25年もの長い冬。「もう終わりだ」と思った人も少なくなかったはずです。
ところが2009年、突然潮目が変わります。小雪さんが「ウイスキーが、お好きでしょ」と歌うCMが流れ始め、居酒屋のメニューに「角ハイボール」という文字が並び始めた。ハイボールを扱う飲食店は1年で1万5,000店から6万店へと4倍に急増し、若者の認知度は3割から8割へ跳ね上がりました。*3 井川遥さんが3代目店主を務めるCMはいまや国民的CMと呼べるほどに浸透しています。
いったいサントリーは、何を変えたのでしょうか。ウイスキーの中身でしょうか? いいえ、角瓶の味は1937年の発売以来、本質的に変わっていません。変えたのは、「飲み方」と「飲む場面」です。
「味」を説得するのではなく、「体験のセット」を売る
サントリーが最初にしたのは、ウイスキーの「味の良さ」を語ることではありませんでした。「ソーダで割る」という飲み方そのものを提案したのです。
しかし、これだけなら過去にも試みがあります。1990年代後半にはウイスキーと炭酸水を1対3で割る「Dハイ(でっかいハイボール)」を提案しましたが失敗。焼酎ブームに合わせた「ハーフロック」も度数が高すぎて受け入れられませんでした。*4 飲み方の提案だけでは、市場は動かなかったのです。
では、2008年の「角ハイボール復活プロジェクト」は何が違ったのか。最大の勝因は、飲み方だけでなく「飲む場面」を丸ごと設計したことにあります。
まず、器を変えました。琥珀色の液体を「ロックグラス」ではなく「ジョッキ」で提供する。ウイスキーをほとんど飲まないチームメンバーの「ビール感覚で飲んでもいいんじゃないか」という一言から生まれた「角ジョッキ」は、心理的な敷居をビールと同じ高さまで下げました。*5 最初は社内でも「そんな飲み方は邪道だ」と反対があったそうです。
次に、作り方を標準化しました。「ジョッキいっぱいに氷を入れる」「ウイスキー1に対してソーダ4」「冷やしたソーダは静かに注ぐ」という「こだわり3ヶ条+1」のマニュアルを作成し、黄金比で注げる業務用サーバー「角ハイボールタワー」を飲食店に提供しました。*6 アルコール度数を7〜8%に抑える設計は、低アルコール飲料に慣れた若者の味覚を意識したものです。
そして決定打となったのが、食事とのペアリングです。2013年からサントリーは「ハイボールにカラアゲで"ハイ&カラ"」というキャンペーンを本格始動。*7 井川遥さんのCMでは「ハイボールと唐揚げ、運命の出会い」というフレーズが繰り返し流れました。ウイスキーを「食後のロックグラス」から「唐揚げの隣にあるジョッキ」へ——場面ごと書き換えたのです。
| Before(旧イメージ) | After(ハイボール以降) | |
|---|---|---|
| 器 | ロックグラス | ジョッキ |
| 飲み方 | ストレート・水割り | ソーダ割り(1:4の黄金比) |
| 場所 | バー・スナック | 居酒屋・焼き鳥店・自宅 |
| タイミング | 食後・2軒目 | 乾杯の1杯目・食中酒 |
| 一緒に食べるもの | チョコレート・ナッツ | 唐揚げ・アジフライ(ハイ&カラ) |
結果、角瓶の販売量はプロジェクト開始前の150万ケースから300万ケースへと倍増。2009年のウイスキー出荷量は前年比110.6%と二桁成長を記録し、その後も右肩上がりを続けて2022年には約1億2,600万リットルに達しました。*8

アンカリングの移行・オケージョン・デザイン・単純接触効果
この鮮やかなV字回復を、マーケティング心理学の視点から分析してみましょう。
第一に、アンカリングの移行です。人は何かを評価するとき、無意識のうちに「比較対象(アンカー)」を基準にします。かつてウイスキーのアンカーは「高級なブランデー」や「バーで飲む特別なお酒」でした。サントリーはこれを意図的に「ビール」にずらしたのです。ジョッキという器、居酒屋という場所、「とりあえず」の1杯目——すべてがビールと同じ文脈に置かれることで、「ウイスキーは高い」という心理的アンカーが「ビールと同じくらい気軽」へとリセットされました。
第二に、オケージョン・デザイン(飲用シーンの設計)です。これは「いつ、どこで、誰と、何と一緒に楽しむか」という「状況(オケージョン)」をセットで設計するマーケティング手法です。ハイボール復活プロジェクトは、まさにこの教科書的な実践でした。「金曜の居酒屋で、仲間と、唐揚げと一緒にジョッキで」——この具体的なシーンが消費者の脳内に「新しい習慣の回路」を作ったのです。商品単体ではなく、「体験のセット」として記憶に刻まれたからこそ、一過性のブームに終わらず定着しました。
第三に、単純接触効果(Mere Exposure Effect)。人は繰り返し接触するものに対して好意を抱きやすくなるという、心理学者ザイアンス(Zajonc, 1968)が提唱した古典的な理論です。*9 小雪さん、菅野美穂さん、井川遥さんと続くCMシリーズ。居酒屋のメニューやポスター。「ハイ&カラ」と書かれた店頭POP。サントリーはあらゆる接点で「ハイボール+揚げ物=最高の組み合わせ」というイメージを繰り返し提示しました。まだハイボールを飲んだことのない若者でも、何度も目にするうちに「これは自分のための飲み物だ」と感じるようになる。その心理メカニズムこそが、単純接触効果です。
| 心理メカニズム | ハイボール戦略での実践 |
|---|---|
| アンカリングの移行 | 比較対象を「高級酒」→「ビール」にずらし、心理的な価格・敷居の壁を解消 |
| オケージョン・デザイン | 「居酒屋×仲間×唐揚げ×ジョッキ」という状況をセットで設計し、新習慣を形成 |
| 単純接触効果 | CM・ポスター・メニュー表で繰り返し接触させ、「自分向けの飲み物」と確信させた |

「モノ」を売るのではなく、顧客の「新しい時間」を提案しよう
ここからは、自分自身の仕事に引き寄せて考えてみましょう。
あなたの商品は、どんな「シーン」で使われていますか?
角瓶のアルコール度数は40%。この数字は、ハイボールが流行する前も後も変わっていません。熟成年数も、原料も、製法も同じ。変わったのは「いつ・どこで・誰と・何と一緒に」という飲用シーンだけです。それだけで、25年間沈み続けた市場が反転しました。
これはウイスキーに限った話ではありません。あなたの商品のスペック——性能や価格や原材料——を語る前に、まず顧客がその商品を手にしたとき、「隣にあるもの」をデザインしてみてください。一緒に食べるもの。一緒にいる人。使う場所や時間帯。それこそがオケージョン・デザインの出発点です。
「モノ」を売るのではなく、
顧客の「新しい時間」を提案すること。
それが、停滞した市場を動かす唯一の鍵である。
サントリーが売ったのは、ウイスキーではありませんでした。「金曜の夜、仲間と居酒屋で、唐揚げをつまみながらジョッキを傾ける——あの爽快な時間」を売ったのです。商品は変わらなくても、それを取り巻く「時間」が変われば、市場はまったく新しいものに生まれ変わります。
あなたの商品の「隣」には、いま、何がありますか? その「隣」を変えることから始めてみてください。

【本記事のまとめ】
1. サントリーは「味」ではなく「飲む場面」を丸ごと変えた
器をジョッキに、場所を居酒屋に、タイミングを1杯目に、隣の食べ物を唐揚げに。商品スペックはそのまま、体験のセットを再設計して市場を反転させた。
2. アンカーを「高級酒」から「ビール」にずらした
比較対象を意図的に変えることで、ウイスキーの心理的な敷居をビールと同じ高さまで引き下げた。
3. 「いつ・どこで・誰と・何と一緒に」を設計するのがオケージョン・デザイン
商品単体ではなく、具体的な使用シーンをセットで提案することで、消費者の脳内に新しい習慣の回路を作れる。
4. マーケターが売るべきは「モノ」ではなく「新しい時間」
スペックを語る前に、商品の「隣にあるもの」をデザインしよう。その周辺環境が変われば、停滞した市場も動き出す。
よくある質問(FAQ)
「オケージョン・デザイン」は飲料業界だけの話ですか? ほかの業界でも使えますか?
あらゆる業界で応用できます。たとえばスターバックスは「サードプレイス(第三の場所)」としてのカフェ体験をデザインしましたし、IKEAは「週末の家族のおでかけ先」として家具店を再定義しました。ポイントは、商品そのものではなく「どんな状況で使われるか」をコントロールすること。自社の商品が使われる場面を具体的に設計し、それをマーケティングメッセージに落とし込むことで、新しい需要を創り出すことができます。
アンカリングの移行は、具体的にどう実行すればよいですか?
まず「自社の商品が、顧客の頭のなかで何と比べられているか」を把握することが出発点です。ウイスキーが「高級酒」と比べられていたからこそ、「高い」「敷居が高い」と感じられていました。次に、「比べられたい相手」を決めます。ハイボールの場合は「ビール」でした。最後に、比較対象と同じ文脈に自社商品を置くための施策——器、場所、価格帯、隣に並ぶ商品——を整えていく。一朝一夕にはいきませんが、消費者の「比較のものさし」を変えることが、市場を動かす強力なレバーになります。
サントリーのハイボール戦略が「一過性のブーム」で終わらなかったのはなぜですか?
3つの理由があります。第一に、飲食店への地道な営業(マニュアル整備、サーバー提供、セミナー開催)で「品質が安定した体験」を全国に広げたこと。第二に、CMタレントを小雪さん→菅野美穂さん→井川遥さんと引き継ぎながら、長期的にブランドイメージを構築し続けたこと。第三に、唐揚げとのペアリング(ハイ&カラ)や家庭飲みの提案など、飲用シーンを継続的に拡張し続けたこと。「ブームを作って終わり」ではなく、「習慣を作り、育て続けた」ことが定着の鍵でした。
*1 サントリー公式採用サイト「ハイボール復活プロジェクト」、ITmedia ビジネスオンライン(2023年11月1日)「25年も苦戦していたウイスキーが、なぜ人気なのか」。1983年をピークに2007年には販売量ベースで6分の1にまで落ち込んだ。
*2 日本経営合理化協会 酒井光雄「サントリーの『角ハイボール』」。バブル崩壊後、主要販路のクラブ・バー・スナックが淘汰され、居酒屋業態が拡大。ウイスキーを扱わない居酒屋が増加した。
*3 サントリー公式サイト SUNTORIAN VOICE「ハイボール復活! ウイスキー市場革命の舞台裏」。2008年末のハイボール取扱店1万5,000店→2009年に6万店、若者の認知度3割→8割近くに上昇。
*4 東洋経済オンライン(2024年7月1日)「ウイスキーが『おじさんのお酒』から激変したワケ」。1990年代後半の「Dハイ」や「ハーフロック」の失敗事例。
*5 サントリー公式採用サイト(前掲)。「ビール感覚で飲んでもいいんじゃないか」の一言からジョッキという発想が生まれた。社内では「邪道だ」との反対も。
*6 ITmedia ビジネスオンライン(前掲)。「こだわり3ヶ条+1」のマニュアルと「角ハイボールタワー」サーバーの提供。アルコール度数を従来より低めの7〜8%に設計。
*7 カクヤス「角瓶倶楽部」特集。2013年から「ハイボールにカラアゲで"ハイ&カラ"」の宣伝をスタート。
*8 サントリー公式サイト(前掲)。角瓶は150万ケース→300万ケースに倍増。ITmedia(前掲)によれば、2009年のウイスキー出荷量は前年比110.6%、2022年には約1億2,600万リットル。
*9 Zajonc, R. B. (1968). "Attitudinal effects of mere exposure." Journal of Personality and Social Psychology, 9(2, Pt.2), 1–27. 繰り返し接触するだけで対象への好意度が上昇する効果を実証。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
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岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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