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なぜサントリーの45年赤字事業は、カテゴリーの「ちょっとずらし」で黒字化できたのか【新人さんのためのマーケティング講座 Season5 vol.8】

📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season5

Season4までは、国内外の企業事例を通じてマーケティングの原則を学んできました。
Season5でも引き続き、私たちの身近にあるサービスや商品が「なぜこう設計されているのか」を事例で深掘りしていきます。

まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
Season 1【全14回まとめ】|▶ Season 2【全15回まとめ】|▶ Season 3【全20回まとめ】|▶ Season 4【準備中】

仕事帰り、コンビニの冷蔵ケースの前に立ったとき、あなたはどのビールを手に取りますか?

棚には数百円の選択肢が並んでいます。なのに、少し高いあの金色の缶に、なぜか手が伸びてしまう——。「今日は疲れたし、まあいいか」と。

2003年に発売されたサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」(以下、プレモル)は、プレミアムビール市場という新しいカテゴリーをつくり出し、2008年にはプレミアムビールのシェアでトップに立ちました。*1 同年、サントリーのビール事業は発足から45年かけてようやく黒字転換。*2 それほど、プレモルの存在は事業の命運を変えました。

しかしプレモルが本当に売ったのは、ビールではありませんでした。では何を売ったのか。今回はその答えを解説します。

「喉の渇き」ではなく「心の渇き」に応えた

プレモルが登場する以前、缶ビール市場の競争軸は「キレ」「喉越し」「飲みやすさ」といった機能的価値でした。各社が味と価格で争う、典型的なレッドオーシャンです。

そこにプレモルは「チェコ・ザーツ産ファインアロマホップ」「天然水醸造」「麦芽100%」という品質訴求で参入しました。*3 しかし、単に「美味しいビール」を売ろうとしていたわけではありません。

プレモルが本質的に訴えたのは、「豊かな時間」という情緒的価値でした。コマーシャルの舞台は、ゆったりとしたリビング。セリフは「至福のひとときを」。ターゲットは「ビール好き」という層ではなく、「今日をいい日にしたい、すべての人」です。

機能で戦うのをやめて、意味で戦う——これを経営学では「意味のイノベーション」と呼びます。*4 プレモルは「ビール」というカテゴリーから抜け出し、「自分へのご褒美」という新しい棚に自らを置いたのです。

  従来のビール競争 プレモルの戦い方
訴求価値 機能的(キレ・喉越し) 情緒的(豊かな時間)
競合 他社ビール 「今日の疲れを癒やすもの」全般
ターゲット ビール好き 今日をいい日にしたい人

「ちょっとだけ贅沢」の設計——心の会計を動かす

では、なぜ私たちは数十〜百円の差額で「プレモルにしよう」と判断するのでしょうか。ここに行動経済学の「メンタル・アカウンティング(心の会計)」が働いています。

行動経済学者のリチャード・セイラーが提唱したこの概念によると、人は同じお金でも「生活費」「交際費」「ご褒美」といった脳内の別々の財布で管理しています。*5 100円の節約に躍起になる一方で、「今日は頑張ったから」と数百円高いビールを迷わず買う——これは矛盾しているようで、実はまったく合理的な行動です。「ご褒美財布」から出しているからです。

プレモルはこの「ご褒美財布」に入ることを徹底的に設計しました。具体的には3つの仕掛けです。

①金色のパッケージ——コンビニの棚で視覚的に「特別感」を演出し、無意識に「これは普通のビールとは違う」という認知を生む。

②「神泡」という作法——プレモルには専用のサーバーや注ぎ方の「儀式」が存在します。飲む前にひと手間かけることで期待値が上がり、「これは美味しいはずだ」という確信が生まれる。これは飲む前からプラセボ効果を最大化する設計です。

③「少しだけ高い」価格設定——極端に高いと日常から切り離されてしまう。でも、手が届く範囲で「ちょっとした贅沢」を演出することで、毎日の習慣の中に「自分へのご褒美」を組み込ませる。これがアップセルの本質です。

「飲後感」をデザインする——今日から使える視点

プレモルの事例が教えてくれるのは、商品の価値は「使用中」だけではない、ということです。「これを買った自分」という感覚、開ける前の期待感、飲み終えた後の満足感——その一連の体験すべてが「商品」です。

新人マーケターがよくやってしまうのは、スペックと価格だけで勝負しようとすることです。「他社より○○が優れています」「この価格でこの品質は最高のコスパです」——それは正しいかもしれませんが、顧客の心には刺さりにくい。

問うべきは、「顧客はその商品を手にしたとき、どんな自分になりたいのか」です。読書には「読後感」があるように、商品にも「使後感」があります。プレモルで言えば「今日の自分を労えた」という感覚。そこまで設計できて、初めてブランドになります。

 

2026年の消費者は、モノにではなく、
「自分が大切にされているという実感」にお金を払う。

あなたの商品は、顧客にどんな「使後感」を与えていますか。「安い」「機能が高い」だけでは、その問いに答えられません。顧客が手にした瞬間、ちょっとだけ自分を好きになれるような——そんなブランドを目指してみてください。

 

【本記事のまとめ】

1. プレモルが売ったのはビールではなく「豊かな時間」だった
機能的価値(キレ・喉越し)の競争から抜け出し、「自分へのご褒美」という情緒的価値を訴求。ターゲットを「ビール好き」から「今日をいい日にしたい人」へと広げた。

2. 「ご褒美財布」に入ることを設計した
メンタル・アカウンティングの原理を活用し、金色のパッケージ・儀式的な作法・手が届く価格帯で「ちょっとした贅沢」を日常に組み込ませた。

3. 商品の価値は「使後感」まで含む
スペックや価格だけで勝負するのではなく、「これを買った自分」「使い終わった後の満足感」まで設計することがブランドをつくる。

よくある質問(FAQ)

「意味のイノベーション」は、どんな商品カテゴリーでも使えますか?

使えます。むしろ、機能面での差別化が難しくなっているカテゴリーほど有効です。重要なのは「顧客がその商品を使う文脈」を深く観察すること。たとえば「文房具」は機能で差別化しにくいですが、「書くことで自分の思考が整理される体験」という意味を付加すれば、価格帯も顧客層も変わります。

メンタル・アカウンティングを使った価格設定で注意すべきことはありますか?

「ご褒美財布」に入れてもらうには、その価格差に見合う「特別感の演出」が必要です。パッケージ、コミュニケーション、使用体験——これらが揃って初めて機能します。価格だけ上げても「割高」と感じられるだけです。また、あまりに高すぎると「日常の贅沢」から外れてしまうので、手が届く範囲で「ちょっとだけ特別」という絶妙な価格帯の設定が重要です。

BtoBの商品でも「使後感のデザイン」は可能ですか?

可能です。BtoBでも意思決定者は人間です。「このツールを導入して良かった」「このベンダーを選んで正解だった」という感覚は、担当者個人の「仕事がうまくいった」「自分の判断は正しかった」という自己効力感と直結します。機能訴求に加えて「このサービスを使っている自分」の姿を示すことが、選ばれる理由になります。

(参考)

*1|大崎孝徳(2012)「プレミアム・ビールのマーケティング——"ザ・プレミアム・モルツ"の事例を中心として」名城論叢 第12巻第4号。2008年にプレミアムビールシェアでトップ獲得。
*2|価格.comマガジン(2022年5月)「缶ビール『ザ・モルツ』が消える!」サントリービール事業は2008年に黒字転換。
*3|サントリー公式サイト|ザ・プレミアム・モルツ 製品情報。チェコ・ザーツ産ファインアロマホップを中心とした欧州産アロマホップ100%使用、天然水醸造、麦芽100%。
*4|Verganti, R. (2009). Design-Driven Innovation. Harvard Business Press.(邦訳:ロベルト・ベルガンティ著、佐藤典司ほか監訳『デザイン・ドリブン・イノベーション』クロスメディア・パブリッシング、2016年)。製品の意味を変えることによるイノベーション論。
*5|Thaler, R. H. (1985). Mental Accounting and Consumer Choice. Marketing Science, 4(3), 199–214. メンタル・アカウンティング(心の会計)の原著論文。

▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season5

私たちの身近にあるサービスや商品が「なぜこう設計されているのか」を、さらに事例で深掘りしていきます。

Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで

Season2(全15回)はこちら|PL翻訳術、弱者の戦略、広告評価、インタビュー技術まで
Season3(全20回)はこちら|現場で使える顧客心理・ブランド戦略・価格設計の本質
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【プロフィール】
岡 健作(おか・けんさく)

スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
X→@oka_kgs / Instagram→@oka_ken2010 /




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