
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3までは、事例を中心にマーケティングの原則を学んできました。
Season4では、Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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「ネットで知らない人から中古品を買うなんて、怖すぎる」——。ほんの十数年前まで、多くの日本人はそう感じていたはずです。
かつての個人間取引といえば、ヤフオク!に代表されるネットオークションでした。しかしそこには「お金を振り込んだのに商品が届かない」「住所を見ず知らずの人に教えるのが不安」「入札の駆け引きがプロっぽくて難しい」といった、高いハードルがいくつも立ちはだかっていました。中古品売買は、一部の慣れた人だけが参加する「玄人の世界」だったのです。
ところがいま、風景は一変しています。着なくなった服をスマホで撮って出品し、売れたお金でまた別の服を買う。子どもが使わなくなったおもちゃが、別の家庭の子どもの宝物になる。2013年7月にサービスを開始したメルカリは、約11年で累計出品数40億品を突破し、月間2,200万人以上が利用する巨大な「個人間経済圏」を築き上げました。*1
ここで立ち止まって考えてみましょう。なぜ私たちは、ネット上の見ず知らずの他人を「信頼」して取引できるようになったのでしょうか?
「不信感」をシステムで消し去る
メルカリの最大の功績を一言で表すなら、「信頼」をテクノロジーに置き換えたことです。
その中核がエスクロー決済と匿名配送という2つの仕組みでした。
エスクロー決済とは、購入者が支払った代金をメルカリが一時的に預かり、購入者が「商品を受け取った」と確認した後に出品者へ支払われる仕組みです。*2 これによって「お金を払ったのに届かない」という最大の恐怖が消えました。出品者にとっても「商品を送ったのに代金が支払われない」リスクがなくなり、双方が安心して取引に臨めるようになったのです。
もうひとつの匿名配送は、2015年にヤマト運輸と連携した「らくらくメルカリ便」として試験運用が始まり、2016年1月に全ユーザーに提供が開始されました。*3 出品者と購入者、双方の住所・氏名がお互いに一切開示されない。「住所を知られるのが怖い」という、特に女性ユーザーにとって深刻だったフリクション(摩擦)を、テクノロジーで根本から取り除いたのです。
さらにメルカリは、出品する側の「脳のコスト」も徹底的に引き下げました。バーコードを読み取るだけで商品情報が自動入力される機能。過去の取引データに基づく売れやすい価格の提案。2024年には写真を撮るだけでAIが商品説明を自動生成する「AI出品サポート」も開始されています。*4
| CtoC取引の「不安」 | メルカリの「仕組み」 |
|---|---|
| お金を払ったのに届かないかも | エスクロー決済(受取確認後に入金) |
| 住所を知らない人に教えたくない | 匿名配送(双方の個人情報を非開示) |
| 値段の付け方がわからない | AIによる価格提案・バーコード出品 |
| 相手が信用できるか判断できない | 相互評価システム+24時間サポート体制 |
ポイントは、これらすべてが「相手を信じてください」ではなく「信じなくても大丈夫です」という設計になっていることです。人間の善意に頼るのではなく、仕組みそのものが信頼を担保する。この発想こそが、CtoC市場を「玄人の世界」から「誰でも参加できる経済圏」へと変えた原動力でした。

心理的所有感・信頼の外部化・「資産としての消費」
この仕組みの裏側には、興味深い心理メカニズムが働いています。
第一に、心理的所有感(Psychological Ownership)です。*5 これは「モノに対して自分のものだという感覚を抱くことで、そのモノの価値を高く見積もる」という心理現象です。メルカリの商品ページでは、出品者が「子どもの入学式で一度だけ着ました」「祖母から譲り受けたものです」といったストーリーを添えることが珍しくありません。単なる中古品のスペック情報ではなく、誰かの「思い出の断片」が商品に乗ることで、購入者は無意識のうちにその価値を高く見積もるようになります。ただの中古のワンピースが、「誰かの大切な1着」に変わる瞬間です。
第二に、「信頼の外部化」です。エスクロー決済は、「この人は信用できるか?」という判断を個人に委ねず、システムが代行します。心理学でいう心理的安全性(Psychological Safety)に似た効果を取引の場に持ち込んだわけです。*6 個人の信用に関わらず、仕組みが安全を保証するからこそ、初めて出品する人・初めて購入する人でも躊躇なく取引に参加できる。この「信頼の外部化」こそ、メルカリが2,200万人という巨大な市場を生み出せた最大の理由ではないでしょうか。
第三に、メルカリがもたらした最も革命的な変化——「資産としての消費」です。メルカリ総合研究所の調査(2019年)によれば、フリマアプリ利用者の60.6%が「新品を購入するときにリセールバリューを考えるようになった」と回答しています。*7 さらに2020年の調査では、利用者の52.7%が新品購入前にフリマアプリで売値を調べており、*8 Z世代の約半数は「持ち物を売ることを想定して」買い物をしているという結果も出ています。*9
つまり、消費者は「買う→使う→捨てる」という直線的な消費から、「買う→使う→売る→買う」という循環型の消費へとシフトしているのです。「出口(売るとき)」から逆算して「入口(買うとき)」を決める。この発想の転換は、慶應義塾大学の山本晶准教授の研究でも実証されており、二次流通市場の存在が一次流通市場(新品市場)の購買行動に影響を与えることが明らかにされています。*10
| 心理メカニズム | メルカリでの作用 |
|---|---|
| 心理的所有感 | 出品者のストーリーが商品に乗り、中古品の知覚価値が上がる |
| 信頼の外部化 | エスクロー決済がシステムとして安全を保証し、個人の信用判断を不要にする |
| 資産としての消費 | リセールバリューから逆算して新品を買う「出口思考」が消費行動を変える |

顧客の「不安」を仕組みで取り除けば、市場は100倍に広がる
さて、ここからはあなた自身の仕事に引き寄せて考えてみましょう。
「良い商品なのに、なぜか売れない」——そんな壁にぶつかったことはありませんか?
そのとき真っ先に疑うべきは、商品のスペックでも価格でもありません。顧客が言語化できていない「不安」の存在です。メルカリ以前、中古品市場には膨大な「売りたい人」と「買いたい人」が潜在的に存在していました。にもかかわらず市場が小さかったのは、商品に魅力がなかったからではなく、「騙されるかもしれない」「面倒くさそう」という不安が取引を阻んでいたからです。
あなたの商品やサービスにも、同じ構造が隠れているかもしれません。スペックを並べる前に、まず顧客の頭のなかにある不安を「仕組み」で取り除くことを考えてみてください。全額返金保証、無料お試し期間、第三者機関の認証、レビューの可視化——。方法はいくらでもあります。
顧客が「これなら騙されない」と思えた瞬間、
あなたのマーケットは100倍に広がる。
メルカリが証明したのは、シンプルだけれど強力な真実です。人は「信頼できる仕組み」さえあれば、見ず知らずの他人とでも喜んで取引する。商品の質を上げることはもちろん大事ですが、それと同じくらい——いや、ときにはそれ以上に——「不安を消す設計」が市場を動かすのです。
あなたの顧客はいま、どんな不安を抱えていますか? その不安を「仕組み」に変えることから、始めてみてください。

【本記事のまとめ】
1. メルカリは「信頼」をテクノロジーに置き換えた
エスクロー決済と匿名配送で「相手を信じなくても大丈夫」という取引環境を構築。CtoC市場を誰でも参加できる経済圏へと変えた。
2. 出品者のストーリーが中古品の価値を引き上げる
心理的所有感によって、単なるスペック情報に「思い出」が加わると、購入者はその価値を高く見積もるようになる。
3. 「出口から逆算する消費」が新しい常識になりつつある
フリマアプリ利用者の6割がリセールバリューを意識して新品を購入。「買う→使う→売る→買う」の循環型消費が広がっている。
4. 「売れない」を解決するカギは、顧客の「不安」を仕組みで消すこと
スペックを語る前に、顧客が言語化できない不安を特定し、保証・返金・第三者認証などの仕組みで取り除こう。
よくある質問(FAQ)
「エスクロー決済」は自社のビジネスにも応用できますか?
もちろん応用できます。エスクローの本質は「代金を第三者が預かり、条件が満たされたら支払う」という仕組みです。たとえば、コンサルティングサービスで「成果が確認できてから報酬が確定する」成果報酬型の契約はエスクローの発想に近いですし、ECサイトでの「到着後◯日間の返金保証」も同じ原理です。重要なのは、顧客に「先にリスクを負わせない」という設計思想を持つことです。
「心理的所有感」をマーケティングに活用するには?
心理的所有感は、商品に「ストーリー」や「パーソナルな文脈」を添えることで高まります。たとえば、商品紹介ページに開発者の想いや使用シーンの物語を盛り込む、カスタマイズやパーソナライズのオプションを用意する、購入前に「お試し」や「体験」の機会を設けるなどが有効です。顧客が「これは自分のためのものだ」と感じる接点を増やすほど、知覚価値は高まります。
リセールバリューを意識した消費行動は、メーカーにとって脅威ではないですか?
一見脅威に見えますが、実はチャンスでもあります。メルカリ総合研究所の調査では、フリマアプリ利用者の約3割が「新品の購入単価が上がった」と回答しています。リセールバリューが高い商品は「実質コスト」が低くなるため、消費者は通常より高い新品を購入する傾向が生まれるのです。メーカーは商品の品質と耐久性を高め、型番や商品名で検索しやすい情報設計を行うことで、この循環を味方につけることができます。
*1 メルカリ公式プレスリリース(2024年9月11日)「メルカリ累計出品数が40億品を突破」。2013年7月のサービス開始から約11年で達成。MAUは2,200万人規模(FY2023決算)。
*2 公正取引委員会 競争政策研究センター 第204回BBLセミナー配布資料「フリマアプリ業界におけるメルカリの取組について」。エスクローによる安心な取引システムとして、メルカリが商品代金を仲介する仕組みを解説。
*3 メルカリ公式プレスリリース(2016年1月18日)「フリマアプリ『メルカリ』、匿名配送サービスをすべてのお客様に提供開始」。2015年9月より一部対象者に試験運用していたサービスを全ユーザーに拡大。
*4 メルカリ公式プレスリリース(2024年9月9日)「メルカリ、『AI出品サポート』の提供を開始」。出品体験をさらに簡単にアップデート。
*5 Pierce, J. L., Kostova, T., & Dirks, K. T. (2003). "The state of psychological ownership: Integrating and extending a century of research." Review of General Psychology, 7(1), 84–107. モノに対する心理的所有感が知覚価値を高めるメカニズムを体系化。
*6 Edmondson, A. (1999). "Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams." Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383. 心理的安全性の概念を提唱。本記事では取引環境の安全設計に援用。
*7 メルカリ公式プレスリリース(2019年4月25日)「2019年度『フリマアプリ利用者と非利用者の消費行動』に関する意識調査」。慶應義塾大学 山本晶准教授監修。リセールバリューを考える割合60.6%(前年比9.7%増)。
*8 日経クロストレンド(2022年2月14日)「新商品の購入に『メルカリでの売値』が影響 実験で明らかに」。メルカリ総合研究所2020年調査より、利用者の52.7%が新品購入前にフリマアプリで売値を調べている。
*9 日本ネット経済新聞(2023年8月)メルカリ「世代別の消費行動・資産認識に関する調査」発表会レポート。Z世代の42.7%が「持ち物の資産価値を裏付けにして新品を購入」。
*10 山本晶(2020)「二次流通市場が一次流通市場における購買に及ぼす影響」『マーケティングジャーナル』Vol.40, No.1. 日本マーケティング学会マーケティングジャーナル2021ベストペーパー賞受賞。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
- 第1回:なぜマクドナルドは、わざわざ「割安なセット」を用意するのか?
- 第2回:なぜ私たちは、リッツ・カールトンを「最高だった」と記憶するのか?
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- 第12回:近日公開
▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season2(全15回)はこちら|現場で成果を出すための実践スキル▶ Season 3【準備中】
岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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