
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3までは、事例を中心にマーケティングの原則を学んできました。
Season4では、Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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スーツのまま、革靴のままでいい。着替えも不要。シャワーもない。滞在5分でもいい。
RIZAPグループが運営する「chocoZAP(チョコザップ)」は、フィットネスジムの「常識」をほぼすべて取り払ったサービスです。2022年のオープンからわずか3年弱で全国1,800店舗以上を展開し、会員数は日本のフィットネスジムで最多を記録しました。*1
月額2,980円(税抜)というコンビニ感覚の価格設定もさることながら、注目すべきは「何を足したか」ではなく「何を削ったか」です。なぜ、シャワーも更衣室もないジムが、これほどまでに支持されたのでしょうか。
「やる理由」より「やらない理由」を消す
フィットネスジムに入会しながら、通わなくなった経験はないでしょうか。いわゆる「幽霊会員」の問題です。
じつは、多くの人がジムを辞める(あるいはそもそも入会しない)最大の理由は「月謝が高いから」ではありません。「面倒くさいから」です。
ウェアに着替えなければならない。シューズを持っていかなければならない。汗をかいたらシャワーを浴びなければならない。帰り道に髪を乾かす時間も必要——。こうした一つひとつの「小さな面倒」が積み重なり、「今日はいいか」という判断を日常化させます。
チョコザップの戦略は明快でした。「やる気を高める」のではなく、「やらない理由を片っ端から消す」。
| 従来のジムの「面倒」 | チョコザップの解決策 |
|---|---|
| ウェアに着替える必要がある | 私服・スーツのまま利用OK |
| シューズを持参しなければならない | 革靴・サンダルのままでOK |
| 汗をかいたらシャワーが必要 | シャワー不要の軽い運動が前提 |
| 最低1時間は通わないと意味がない | 「1日5分」でも価値がある設計 |
| スタッフとのやり取りが億劫 | 完全無人・アプリで完結 |
ここで見逃してはならないのが、シャワーを「なくした」ことの意味です。
これは単なるコスト削減ではありません。「シャワーを浴びるほど頑張らなくていいですよ」というメッセージなのです。顧客に対して「軽く体を動かすだけで十分です」と、行動のハードルそのものを再定義している。この設計思想が、チョコザップの核心です。

フォッグ行動モデル——行動は「やる気」だけでは起きない
チョコザップの戦略を、行動科学の理論で分解してみましょう。
スタンフォード大学行動デザイン研究所のBJ・フォッグ博士が提唱した「フォッグ行動モデル(Fogg Behavior Model)」は、人が行動を起こす条件を次の等式で表します。*2
行動(B)= 動機(M)× 能力(A)× きっかけ(P)
つまり、「動機」「能力(=簡単さ)」「きっかけ」の3つが同時に揃ったときだけ、人は行動するというモデルです。どれかひとつでも欠けていれば、行動は起きません。
多くのフィットネスサービスは「動機(M)」を高めようとします。「理想の体を手に入れよう」「結果にコミットしよう」——モチベーションに訴えかける広告は、まさにこのアプローチです。親会社のRIZAP自体がその代表例ですね。
しかしチョコザップは、まったく別のレバーを引きました。「能力(A)」——つまり「どれだけ簡単にできるか」を極限まで高めたのです。
| フォッグモデルの要素 | 従来のジム | チョコザップ |
|---|---|---|
| 動機(M) | 「本気で痩せろ」と強く訴求 | 「ちょっとだけでいい」と低く設定 |
| 能力(A) | 準備・移動・着替えが必要 | 私服のまま・5分でもOK |
| きっかけ(P) | 「週末にまとめて行こう」 | 「帰り道に寄ろう」(日常の延長線上) |
フォッグ博士は、動機は「波」のように上がったり下がったりするものだと指摘しています。正月に「今年こそ痩せるぞ」と誓っても、2月には忘れている——これが動機の波です。*3
だからこそ、動機が低い瞬間でも行動できるほど「簡単」にしておくことが、習慣化の鍵になります。チョコザップは「コンビニに寄る感覚」で運動できる設計にすることで、動機の波に左右されにくい行動パターンを作り出しました。

「現状維持バイアス」を逆手に取る
もうひとつ、チョコザップの設計が巧みに回避している心理があります。「現状維持バイアス(Status Quo Bias)」です。
人は、たとえ変化した方がよい場合でも「いまのままでいたい」と感じる傾向があります。新しいジムに通い始めるという行為は、日常のルーティンを崩す「変化」です。この変化に対する心理的抵抗が、入会をためらわせる大きな要因になっています。
チョコザップは、この抵抗を「日常の延長線上」に運動を置くことで軽やかに乗り越えさせました。通勤経路にある店舗に、いつもの服のまま、いつものカバンを持って立ち寄る。「新しいことを始める」のではなく、「いつもの帰り道にちょっと寄る」——この感覚が、現状維持バイアスを無力化しているのです。
さらに、RIZAPのような「結果にコミット」型の強いプレッシャーを排除していることも重要です。人は自由を制限されると反発する心理(心理的リアクタンス)があります。「毎日通え」「食事を管理しろ」と言われるほど、かえって逃げたくなる。チョコザップの「5分でもいい」「来なくてもいい」というスタンスは、この反発を起こさせない設計でもあります。

「機能を足す」前に「摩擦を削れ」
ここからは、自分の仕事に引き寄せて考えてみましょう。
商品を「もっと良くしよう」と、機能を足すことばかり考えていないでしょうか。
マーケターは「プラスの価値」を盛ることに注力しがちです。新機能の追加、特典の拡充、コンテンツの充実——。しかしチョコザップが証明したのは、顧客の足枷になっている「マイナスの摩擦」をひとつ削るだけで、行動は劇的に変わるということです。
| 業種 | よくある「摩擦」 | 削り方の例 |
|---|---|---|
| ECサイト | 入力フォームが長い | 項目数を半分にする |
| BtoBサービス | 稟議・決裁が複雑 | 無料トライアルで「まず試す」導線を作る |
| 教育サービス | 1回の学習時間が長い | 「1日5分」に分割する |
| 飲食店 | 予約の電話が面倒 | LINEやアプリで即予約できるようにする |
「プラスの価値」を盛る前に、
顧客の足枷になっている「マイナスの摩擦」を削ること。
それがマーケターの最初の仕事である。
あなたのサービスで、顧客が一番「面倒だ」と感じているポイントはどこでしょうか。そのひとつを消すだけで、顧客の行動は変わります。チョコザップは、シャワーと更衣室を「奪う」ことで、日本最大のジムになりました。
【本記事のまとめ】
1. チョコザップは「やらない理由」を徹底的に消した
シャワーも更衣室もなくしたのは、コスト削減ではなく「そこまで頑張らなくていい」というメッセージ。
2. フォッグ行動モデル:動機よりも「簡単さ」を高める
行動=動機×能力×きっかけ。動機を煽るのではなく、能力(簡単さ)を極限まで高めたことが成功の鍵。
3. 現状維持バイアスを「日常の延長」で乗り越える
「新しいことを始める」のではなく「いつもの帰り道に寄る」感覚に設計し、変化への抵抗を無力化。
4. 「機能を足す」前に「摩擦を削る」
プラスの価値を盛る前に、顧客の足枷になっているマイナスの摩擦をひとつ消す。それがマーケターの最初の仕事。
よくある質問(FAQ)
「摩擦を削る」と、サービスの質が下がりませんか?
チョコザップはシャワーや更衣室を削りましたが、それは「本格的に鍛えたい層」ではなく「運動を習慣にしたい層」をターゲットにしているからこそ成立する設計です。重要なのは、ターゲット顧客にとって本当に必要な要素と、実は障壁になっている要素を見極めること。顧客が求めていない「品質」を削ることは、サービスの質の低下ではなく最適化です。
フォッグ行動モデルの「きっかけ(P)」は、具体的にどう設計すればよいですか?
フォッグ博士は、既存の習慣に新しい行動を紐づけるアプローチを推奨しています。チョコザップの場合、「帰宅する」という既存の習慣の動線上にジムを配置することで、自然なきっかけを生み出しました。自社のサービスでも「顧客がすでに毎日やっていること」の直後に行動を挿入する設計が有効です。
Webサービスでも「摩擦の削減」は効果がありますか?
大いにあります。たとえばAmazonの「1-Click注文」は、購入までの摩擦を極限まで削った代表例です。入力フォームの項目数を減らす、会員登録なしでも購入できるようにする、決済方法を増やす——。こうした「たった一つの摩擦」を消すことで、コンバージョン率が劇的に改善するケースは珍しくありません。
*1 ビジネスチャンス2025年12月号「3年弱で1800店舗・会員数120万人超えのモンスターブランド」。RIZAPグループ瀬戸健社長インタビュー。Business Insider Japan(2025年11月14日)も参照。
*2 BJ Fogg「A Behavior Model for Persuasive Design」(Proceedings of the 4th International Conference on Persuasive Technology、2009年)。Fogg Behavior Modelの原典論文。公式サイト behaviormodel.org も参照。
*3 BJ Fogg『Tiny Habits: The Small Changes That Change Everything』(Houghton Mifflin Harcourt、2020年)。「動機の波(Motivation Wave)」の概念と、行動を簡単にすることの重要性を解説。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
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▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season2(全15回)はこちら|現場で成果を出すための実践スキル▶ Season 3【準備中】
岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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