何が正しいと必ずしも言えなくなった時代で、私は仕事の後、公園で寛いでいる。時代が変わって、人の生活や人生に口出しできなくなった事で、人は他者に無関心になった気がする。不用意な一言は誤解の元だし、それがきっかけで厄介な事にもなりかねない。なので、私も昔だったら言っていたであろう事も飲み込むことが増えた。
それは相手の為にはならないとしても、言葉尻を捉えられて、逆上されたくはないからだ。
もちろん今の時代でも相手の言葉を素直に受け入れて、それを成長に活かす人もいるとは思うけれど、現代では人は、例えそれが親であっても、誰か(例えば子供)の人生には介入すべきではないという共通認識はもう出来上がっていて、その結果社会からあぶれた人は放ったらかしにされたままだ。
誰にも何にも言われなかった人は傍若無人で、教育される機会を失ったままだ。そして、その人がどんなに現実から目を背けても、それは永遠に追いかけてきて、その人を阻む。その人はまず現実を受け入れなければならないし、何よりも自分自身を受け入れなければならないのだと思う。
文章、例えば小説は鏡だ。自分が誰か特定の人に向けて書いたものじゃなくても、様々な響き方をする。不思議だけれど、きっとその人はその人自身を読んでいるのだと思う。なので、自分は周りの声を過度に気にすることなく、忖度もせずに、これからも思っている事を率直に書いていこうと思う。
作家という仕事は難儀だ。どんなに誠実に書いたとしても、いつも誰かを傷つけているからだ。