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文学フリマに行って、平修氏の『夜光の詩』を読んで

今日は友人の平修さんの詩集『夜光の詩』を買うために、東京の流通センターで催されている文学フリマに行った。会場は賑わい、入場までに15分位列に並んだ。文学というと地味で深刻で辛気臭いイメージがあるけれど、昨今ではそういったものは過去になりつつあるのか、華やかな女子やオシャレな男子も目立った。大学の文化祭のような華やいでいて、若々しい雰囲気だった。自分の好きなことをやっている人は強いなと思った。

 

それで、少し迷いながら平さんのブースに向かうと、笑顔の平さんとブログなどでは知り合いの朱乃紅さんがいた。平さんと軽く挨拶を済ませ、ほぼ初対面の朱乃紅さんとも挨拶をした。朱乃紅さんはブログでは結構深刻で、思い詰めた内容の投稿をよくしているので、「この人大丈夫かな?」「ヤバいんじゃないかな?」と思っていたが、実際顔を合わせてみると、事前に想像していた人とは全然違って、柔和で優しそうで、一目でその笑顔に嘘はないのだなと思った。ブログや作品を読んでなかったら、優しそうなおじさんてだけで素通りして、その人にこんな深い精神性や奇天烈な世界観があるとは思わなかっただろう。文学フリマ全体に対しても作品を読まなかったら、綺麗でおしとやかなお嬢さんや真面目な男の子で片付けられてしまうような人の中に、こんなにも激しい情念や嫉妬、復讐心、情欲、劣等感、怒り、喜び、愛があることに気づけずにいただろう。そういう意味で文学には意味がある、と思った。

 

さて、本題である平修氏の詩集『夜光の詩』についてである。帰りの電車やベンチで早速読んで、読み終わった。

 

まず私にとって平さんはすごく親近感を感じるというか似ている人種の人間で、彼の生きづらさは私の生きづらさだし、彼の苛立ちや怒りや虚しさは私のものでもあるし、現代の青年すべてが理解できるものなのかもしれない。真面目にやっても報われない感じ、誰のせいにもしたくないけれど、「じゃあ、どうすればいいんだ!?」というような絶叫は身に詰まされる。そして、私自身もまだ答えを知らない。

 

また風景描写や季節を切り取る情緒の豊かさは読者をホッとさせる。攻撃的だったり、衝動的な側面と呑気で素朴な一面が彼の個性であり、人懐っこいことも含めて、彼に人が寄ってくる理由でもあるのだろう。

 

また今回一番とも言えるぐらい思ったのが、彼の意識の明晰さだ。驚く位自分自身や事象を捉えていて、これほどの冷静さと理知と衝動性・不器用さがアンバランスだが共存していて、奇妙で魅力的だ。彼の自虐は幼いようで老成していて、自分を突き放す冷ややかさは私小説家・西村賢太にも似ている気がする。

 

自分に自信を持てないもどかしさやそれでも強かに逞しく生きていこうとする彼や彼の作品群の意味が徐々にわかってきた気がする。今までいろんな冊子を読ませてもらったけれど、今回の詩集が一番良かったし、彼のことが少しずつわかってきた気がする。人には目には見えない様々な歴史や想いや豊かさがあって、それは素通りされがちなものだけれど、絶対に大切にされなきゃいけないものだ。彼の作品や世界観が今後どのように発展していくのか、を見るのが楽しみだ。

 

最後に一番気に入った詩を載せる。

 

『閃光』

 

散る花火のように

 

花弁の美しさは

 

落ちる太陽の名残惜しさ

 

刹那の間に輝くから

 

迸る光は静かにしかし強く浮かぶ

 

そして何時かは眩い閃光に

 

それは命の光

 

燃える律動

 

人はいつでも物語を創る

 

生の尊さという芸術が生まれる

 




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