前回から更新に間があきましたが、それはお伝えしていたとおり旅行に行っていたからでございまして、温泉に入ったり温泉に入ったり温泉に入ったりしていました。その合間に観光もし、立派な建物を見学したり、ちょっとええ感じのカフェーなどあれば入ったりもして、楽しゅうございましたよ。そのうち旅行記というか、宿泊した施設についてサブブログの方にまとめたいなと思いますので、お楽しみにしておいてください♨️
さてさて、久しぶりのブログでなにを書こうかしらん。ちょいと考えてみたんですが、皆さまは経路ってどうされてますか。つまり、旅先で目的地を目指す際、Googleマップなどを眺めると思うんですが、どう付き合っているかということです。これが車だと、ナビを起動して家を出発。進行方向300メートル左とかいう説明に従って崖下に転落したりだとかまぁ、結果はともあれ、最初から最後までそれに依存しやすいわけですよね。
徒歩の場合はどうでしょう。土地勘のない場所で目的地に向かって進む、なんてとき、いつでも眺められるようスマホの地図アプリをずっと起動させて、表示される経路をなぞって歩きますか。それとも、駅前のあたりで目的地までの経路を頭に入れておき、よし分かったという気になったらスマホを懐にしまい、自分を信じてガンガン行くタイプですか。ちなみに私は後者です。なんだったら、旅行に入る前に大体の経路を頭に入れておいて、本当に困ったら確認する感じです。

人によって考え方も違うのでしょうけど、旅行は迷うことこそ醍醐味だと私なら考えます。というか、迷えるのですよね。これが仕事の出張ならば迷ってなどいられない。最適解の経路で目的地に到達することを求められます。しかし、自由意志の効く旅で、あえて最適解の経路を辿ることは必要なのか。ま、そのあたりって、一刻も早く温泉に浸かりたいとか、美味しいものを食べたいだとか、目的としている場所にどれだけ期待を込めているかによっても違うのでしょう。
それに、迷うのが楽しい状況もあれば、できる限り迷いたくない状況もあるものです。馴染みはないけれど、治安的に安全な街で迷うことは、かえって素敵なお店を見つけたりだとか、いい意味での迂回につながるかもしれない。しかし、土地勘のまるでない山道なんかで迷ってしまった、なんてのはこれただの遭難ですからね笑。逆にその状況で「こりゃ楽しいぞ〜」なんてワクワクしているようじゃ危機管理能力が足りないわけです。いずれにせよ、迷うことを自分に許容するか、しないか。そのあたりにも個人の感覚が反映されやすい。
と、ここまで書いて、もしかしたら、街の中で迷うこともまた「遭難」だという感覚を持つ人がいるのかもなと思ったのです。だからこそスマホで経路を眺めながら、道から逸れないよう、最適解のルートを確実に辿る移動をしたがるのかもしれない。別にそういう姿勢を批判するつもりはないのですが、道に迷うことを避ける姿勢が、かえってその人を遭難へと導いてはいないか。迷って無駄足を食ってこそ、視界的に晴れるものがあるのだけど、それを避けているが故に、その人にとって根源的な霧も晴れないんじゃないか。なんてなことをついつい癖なもんで考えてしまいました。
あまり馴染みのないピーター・ガブリエルを旅先でなんとなく聴いてたんですけど、エモーショナルな曲もあってなかなか良いですわ。