書類の年月日記入欄に2026と書くたびに、その未来感に唖然としますが、私の暮らす環境がまるで2026年に追いついてません。いまだ昭和から平成初期の産物に囲まれ生きている。こないだも職場の壁を眺めていてそう感じました。これらは一体いつのものやら。薄汚れたシミやら細かいヒビやらが目立ち、こんなに年季の入った壁に囲まれて働くことになるとは、私が子供の頃なんて想像もしなかっただろうなと思うのです。もっと全てが刷新されるような気がしていた。
ちなみに、私にとって近未来のイメージといえば第3新東京市です。
地面からギラギラしたビルがニョキニョキ生えてくるこの感じ。新世紀エヴァンゲリオンの時代設定は2015年ですから、私はすでに10年先の未来に生きているのですが、現実はビルがニョキニョキしてこないどころか、地元駅前の百貨店も潰れて空き地となってしまい、なぜかそこに、気仙沼から出張してきたという牡蠣小屋が出店。焼き牡蠣の香りが漂っているのです。県庁所在地の駅前に牡蠣小屋が並ぶ2026年。どうよ。
などと言われても困ると思うので話題を変えますけれど、時代の風情というのでしょうか、それが止まっている感覚があります。いつからかと言われると、私の中では2018年頃からかなと。これが2017年だとちょっぴり古くて、2019年はもうすでに今と変わらない印象なのです。となると、2018年が「それまで」と「それから」の繋ぎ目となる年だったのだろうか。皆さんはどうお感じになりますか?

2018年の画像フォルダを探ってみたら孔雀を撮っていた。
実際のところ、2018年と2026年は大きく違いますよね。世界情勢もだし、私たちの身近にあるテクノロジーもまた異なる。世界の混乱ぶりや生成AIの台頭なんて、2018年ごろにはっきりとは想像できなかったわけですし。それはそれとして、2018年あたりから、私たちの「基本装備」ってほとんど同じじゃないでしょうか。スマホにノイズキャンセリングイヤホン、オーバーサイズのトップス。アプリはLINEにインスタにSpotify。何か買うときはPayPayで支払い、家に帰ったらYouTubeかアマプラを眺める。今と同じじゃないか。
サブスクやアプリが暮らしに根を下ろして、すっかり生活の型になったと実感できるのがこの年なのかもしれないですね。ちょっと調べてみたら、その2018年には世帯におけるスマートフォンの保有率が約80%にまで達しているんです。
iPad等のタブレット端末の保有率も上がり、逆にパソコンは下がっているのですよね。ここから想像できることとして、パソコンの前にどっしり座ってインターネットする、とかじゃなく、ソファに寝転がってアプリをスクロールするみたいな生活が私たちの基本形と「なりきった」のが2018年で、2026年もそこから変わり映えしていないのでしょう。デバイスのスペック自体は向上しても、デザインに大きな変化がないため、使用するその所作自体が変わらない。故に、生活感にも停滞が起こって、もう10年くらい同じような時代を生きている感覚に陥る。そんなところじゃないですか。
そういえば、イーロン・マスクが人の脳にインプラントを打ち込んで、電子機器を遠隔操作する実験に成功していますけど、これも目の前にあるデバイスを指を使わずに思考で動かす段階でしかありません。仮にこの技術が一般普及しても、寝転がりながらスマホやタブレットをじっと眺めてるだけで、生活の風情としてはさほど今と変わらないわけですよね。それどころか、将来的に脳内でネット接続ができたとて、結局はアマプラでターミネーター2を観るとかだったりするわけで、あれれぇ、やってることずっと変わんなくね? 未来ってこんなもんだっけ的な感覚に陥る未来が私には見えるぞ👁️
※急に私事で恐縮ですが、旅行に行ってきますので、次回のブログ更新は間が空きます。ああ、そんな顔しないでください……温泉まんじゅうを買ってきてあげますから……♨️
めちゃくちゃ未来感がある攻殻機動隊の時代設定が2029年ですからもうすぐです(⌒-⌒; )