こないだ私が名古屋旅行に行っているあいだに、大阪・関西万博が終わってしまいました。結局、いちども行かなかった……。
イタリア館とかみてみたかったので行く計画まで立てたんですよ。でもなぁ、コストを計算したら億劫になってしまいました。だいたい、東北の人間が関西まで新幹線で出てくるのに往復6万はかかります。さらに高騰している大阪近郊の宿泊費やらを加味すると、数日滞在するだけで総費用は10万越えになる。
加えて、人気のあるパビリオンで2時間待ちだとかいう話も聞いて、あ、もうアカンわと思いました。その時間でできることがもっとあるやろアホらし、となってしまう。きっと万博を一番楽しめる権利を有したのは、関西近郊に住んでいて日帰りができた人でしょうね。実際、関西圏に住んでる方々が通年パスで気軽に足を運ぶブログ記事を読んで、「関西ファースト」なのだという認識を強めました。
あ、いきなり違う話をしましょうか。これはお金の流れについての印象ですが、関西万博をやや冷徹に眺めると、ある巨大なヒエラルキー構造に、私たちの膨大なお金が回収された出来事だったとも捉えられるわけです。もちろん、私たちが万博を楽しむ対価として回収されたのですが、これ、もし万博が無かったとすれば、そのお金ってなにに使っていたんでしょう。もしかしたら地元のお店に使っていたかもしれないし(地域内循環経済)、子供の学費だとかもっと使い道は色々あったはずです。つまり、我々のお金の使い方の一部を万博に誘導されたともいえます。

前に「頂き女子」が話題になりましたね。あれも見事なヒエラルキー構造でした。最底辺にいる「おじ」が頂き女子にお金を貢ぎ、その頂き女子はホストに、ホストはホストリーダーに、リーダーはその上にいる反社組織や地権者へ貢ぐ構造となっている。私たちはそんなヒエラルキーの養分となっていた「おじ」を笑うけれど、万博が始まったら、皆そろって万博を推す「おじ」となってしまったのですから、熱狂の最中では、お金の流れにおける自身の立ち位置にまでは気が向かないものでしょうか。
というか、そういう類のヒエラルキーがウヨウヨしていませんか。ルッキズムもそう。外見というかSNS映え命な10代そこそこの子が、美容整形や高級コスメに執心するいま流行りのカルチャーですけど、そのルッキズムの頂点にいるのは、美容整形技術をウリにするクリニック経営者のおじさま、おばさまです。自分とこのクリニックの患者を使って宣伝をさせ、軽い整形手術を始端とし、どんどん整形にハマらせて金ヅルにする回収システムが出来上がっているのです。そんなのがInstagramを開いた途端に口を開いているわけですから治安が悪い。
さらには日本の「円」も完全にヒエラルキー負けし、リスクヘッジとして対外証券投資による資金流出も増えてますが、どこもかしこもヒエラルキーを意識するようなことばかりでげんなりしてきます。ああ、巷を賑わすクマですが、あれも人里に降りてくるのは、山での縄張り争いに負けたヒエラルキー下位のクマだそうですね。そんなのでも人間は生身じゃ勝てない。21世紀の今になってホモ・サピエンス本来の生物的ヒエラルキーに立ち戻るとは思わなかった……。