職場が病院の敷地内にあり、リハビリ歩行中の患者さんだとか、お見舞いに来た家族さんなんかを見かけるのですけど、このまえ、入院服を着たおじさんが中庭のベンチに座ってスマホで誰かと喋ってまして、その内容がことごとく病院関係者をdisることしか言ってませんでした。「この病院わけわかんねぇ奴しかいない」「看護婦バカみたいなのしかいない」「嫌いな奴に取り囲まれている」などと凄まじい仰り様だった。
挙げ句の果て、「早く帰りたい」「競馬行きたい」「あ、それは払っといてください。はい。すんません」などと言って腰を上げ病院へよろよろと戻って行ったのですが、言っちゃあ悪いけど、こういうおじさんのことは大概みんな嫌いですわ笑。お互いに嫌いなもの同士で嫌われつつやっていくしかない。そんな小さな世界がこのデカい病院のどこかにあるんだなぁ。なんて他人事みたいに思った午後の休憩時間。
それはいいとして、ある方が、自己分析した自分の性格をブログ記事としてまとめていました。それによると相当な人嫌いなんだそうですが、この「人嫌い」というのが、私は昔からあまりよく分からない言葉だと思ってきました。嫌いな人が多い、とかなら分かるし、好きな人が少ない、というのもなんか分かる。だけど「人嫌い」といわれても、なにかこう漠然としてて、「だからなに?」って感じがする。まるで関係ないですが私は参政党が大嫌いです笑

「私、肉が嫌い」と言われても、なんの肉が嫌いなのかよくわからず、伝えた相手に妙な配慮を強いる。「人嫌い」もそういう類の言葉だと思いませんか。自分が人嫌いだと自己分析するのは勿論いいんですけど、それを表立って表明するのは、それを伝えた目の前にいる人も含めて、周囲の人たちの価値を下げる行いになりかねない。心の内に留めておくぐらいが無難でしょう。ブログに書くのは全然いいと思いますけど。
それに、自分のことをそう人嫌いだと観念化しなくても、別にいいのではないのかなと。実際そう決めてしまうことにどれほどの意味があるのでしょうね。それこそ、完全無欠の人嫌いでもなければ、誰かしらとは人間関係があるものでしょうし、付き合う人の数が他人より少なかろうが、自分の分に合った関係性を作っているのなら、他人からとやかく言われる筋合いもない。だいたい、地球上に存在する無数の他人の内から気の合う人を、たとえ一人でも見出せたなら、もはや人嫌いなんて言えないものでしょう。その人を大事に思うなら尚更です。
人が嫌いかどうかに限らず、特定の対象が嫌いかどうかを断定すること自体を避けて、曖昧にしておいた方が色々と楽になるでしょうね。何かを嫌うことでアイデンティティを保っていたり、資本につながる宣伝文句になっているのなら、確信的にやっているんだから、その影響は自分で背負いなさいとしか言いようがないですけど。ちなみに私が参政党が大嫌いなことはここに断言しておきますぞ👹
私の推しバンド、The Weather Station。どこか淡々としていて、それでいてエモーショナルな曲調が良い。