このまえ、試験を受けてきたついでに牛タンをたらふく食って地酒も飲み、その勢いのままカフェでデザートを食べたら、深夜、見事に消化不良を起こしてホテルでのたうち回ったことを書いたような気がしましたが気のせいでしたか🐮
まだ試験は終わってません。秋に実技もあり、東京の武蔵野あたりまで行かないとならんっぽいです。で、もしかしたら来年以降も年に一回ぐらいは試験を受けることになるらしく、この感じが向こう数年間は続くかもしれません。さらにここが肝心なとこですが、今後に備えて、勉強で得た知識を劣化させないために、再学習はこまめに行わないといけません。受かったら終わりじゃない。習得した知識や技能の「アフターケア」をしていかなければならないのです。人生は勉強や。ゆたぼんもそう言ってた。
考えてみれば、これができずに喪失した知識なんて私にはいくらでもあります。路頭に迷ったときの命綱になるかもと、十年くらいまえに危険物取扱者の資格を取ったのですが、知識としてはすっかり抜け落ちているのに関わらず、資格としてはいまだ有効というのも相当グロテスクじゃないでしょうか。ゾンビ資格じゃないか。他に消防設備士の免許なんかも取得してますが、再講習などには参加していないので、本当になんの実質もない、形だけの免許証がただ月日を重ねるがままになっています。

証明写真も十年前で止まったままだ。
そんなような意味で、今更ですが、学校の授業ってつくづく有難いものだったんだと思い知らされます。あれこそ、毎日が知識のアフターケアそのものでしたよね。それまでの学習内容が補完されていること前提で進みつつも、先生が内容のおさらいという形で何度も何度も教えてくれたり、ほんと至れり尽くせり。これが大学あたりまではなんとなく続いてたように思います。
ところがそのあと社会に出たら、「おいこれ覚えとけ〜」っと、習得すべきことをポンと渡される割に、学習方法や知識の維持についてフォローしてくれる人も機会も、めっきり少なくなってしまうものです。それで悟ったのは、大人になってからの再学習とは、自分がこれまでに経験し、有効であった学習方法のノウハウをもってやるというのが前提となっており、それが難しいのならば、本やネットで調べたり、お金を払って講習に通うなどして能動的に動かなければならない部分が多くなるということ。これもある意味、「自立」の一環なのでしょう。
ところで最近やたらと男性もスキンケアした方がいいよ〜なんて話がどこからともなく流れてきますが、何事にしろ、ケアの仕方を知っているか知らないかで、数十年後にどんな状態を維持できるかが変わってくるもので、それは知識も同じことでしょう。ただ、どんなことを、どんな方法で維持していくか考えるのも大事ですが、その発想に先立つものとして、将来の理想が描けないと、やっていこうかって気持ちってなかなか備えられないもんじゃないでしょうか。うーむ。じゃ、ちょっと私の将来をイメージしてみましょうかね。あ〜、なんか牛タンをうまそうに食ったあと消化不良でのたうち回ってますわ🐮
今のゆたぼんは話がしっかりしてて好印象。