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感想文:町田康 『工夫の減さん』

 

去年、友人から誘われる形で読書感想文を書き、なんかいい感じだったし、これを定期的にやったらいいんじゃないかと思っていたのにやらず、年を越してしまいました。なんたることでしょう。

 

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今年はちゃんとやっていきたいものです。というわけで、さっそく今年初の感想文ですが、町田康の短編集『権現の踊り子』所収、『工夫の減さん』という短編小説の感想を書いていきます。なんでこの小説かというと、年末年始に本棚の掃除をしてたらこの『権現の踊り子』が目に入ったというわけでして、10代の終わり頃にこの本を読んで以降、私が作家の町田康、または「パンク歌手」としての町田町蔵という人から受けた影響やその残滓というものは、いまだに思考にむんずと埋まったところがあり、改めて読み直したら、うわすごいと思ったわけなんです。


その中でも『工夫の減さん』については、現実的なアフェクトが強く、現代人の生存性というものを浮き彫りにしている感じがあるのです。私も不器用なところはあるし、なんならインターネットは不器用な人が自らの不器用を腑分けしてる印象もありますが、「不器用だと普通に死ぬ」という現代の野蛮を描き出していて、うわすごいと思ったわけなので、感想を書きます。

 

 

 

いきなりやばいくらいネタバレですが、この小説には「減さん」という人が出てきます。モノに溢れたアパートに住んでおり、テレビや電子レンジなどの家電もあるけれど、満足に使えるものがひとつもありません。モノに溢れているのは、ゴミ捨て場から気に入ったものを拾ってくるわけですが、実用性に欠けたよく分からないものしか拾ってこないのです。


減さんは生活の上で様々な「工夫」をします。料理を作る時に使う食材が高い。なので、他の材料で代用してコストを浮かす。でもそれが仇となり失敗する。あるいは、散髪代を浮かすため、知り合いの美容師の練習台になってタダで髪を切ってもらう。ところが、それによって減さんの髪型や髪色は安定せず、いつもおかしなことになっている。それでも減さんは、工夫できたことそれ自体が楽しいらしく、心がハッピーなのですね。


なぜ減さんが工夫をするのか。根本的には収入が足りないせいで、何かを手に入れるのに特殊な迂回をするほかないからです。ところが、減さんにはいちおう定職があります。真っ当にそこで働けば問題ないはずなのですが、仕事をするにしても工夫してしまう。友人の店を手伝ったり、自作したモノをフリーマーケットで売ったりするような、無駄にニュアンスのある仕事が好きで、定職の方は気が向かない。それゆえ収入が不安定なのです。


たったひとりならそれでも生きていける。しかし、自分ひとりの趣味性に自閉した自己完結性の強い生活は、誰かと共に生きるのには適さない。そんな減さんの生活態度が、猫を拾って飼い始めてから裏目に出ます。猫用の自動給水器なんてそんな高いモノでもないのに、貧しい減さんは「工夫」をして、ペットボトルとお菓子の缶かなにかで不器用ながら自作します。そのうち猫の持病が発現したため、その治療代や特殊な餌のためにお金がかかるようになったわけですが、ちゃんとまっすぐ仕事ができない減さんは、自分で食材を買ってきてテキトーに調理して猫に与えるようなことをする。厳しいことをいうと、減さんの工夫の先には実利がなく、自分も他者も、順調に弱体化させるのです。


減さんは人からお金を借りてなんとかしようとしますが、借りたそのお金で酒を飲んでることがバレて詰められる。だから減さんはダメなんだ。調子こいて工夫ばっかしてんじゃねーよ。工夫する前にちゃんと生活にピント合わせろ。などと言われて減さんはしょんぼりし、やがて死んでしまいます。でもこれが自死なのかどうかが他者にはよく分からない。自死にしては突飛な方法過ぎて、それで死ねるのかが常人にはよくわからなかったからです。しかし、生前の減さんをよく知る者なら、減さんが死ぬために工夫をすることはないはずなので、減さんは最後のときも「今度こそうまくいく」という期待と興奮の中にあった、んじゃないかなぁ、というような余韻を残して小説は終わります。


私は小説に教訓とかってまず要らないと感じますが、曖昧にしてはならない価値を教えてくれるものだとは思います。この小説の場合だと、「代替行為はあくまでも代替行為」ってことかなと。代替行為はいずれ、真っ当な選択でもって補填しなければならない。だいぶ卑近な例ですが、ちゃんとした防寒着が欲しいけど、カネがないのでとりあえず量販店でコートを買うとかよくありますよね。私もある。これ、本当ならあとからちゃんと何年も保つような立派な防寒着を入手すべきなのですよね。また、それを求めようとする姿勢があるからこそ、生活が退廃せずに強靭さが宿り、不幸につながる様々な要因もまた整理されていくのが理想像です。


しかし、安手のモノを買ってコストを浮かすことを覚えてしまい、いつまでもちゃんとしたものが手に入らず、いつも冬は寒がっている。なんてことじゃあ、代替行為が実態そのものになってしまっている。そういうのってきっと恐ろしい予兆でしょう。今の世間にはそれが溢れていて、実家のお墓を維持できないから永代供養にしようとか、夕朝食付きの宿泊プランだと高いから素泊まりにしようとか、ともすれば「最新のスタイル」などという宣伝文句付きで、スマートな選択をしているかのように錯覚するけど、その根本は貧窮です。工夫の減さんと同じく。


代替行為でしか暮らしを組み立てられない減さんに、私たちがなりつつある。ちゃんとしたものを手に入れられないから迂回する習性が身につき、「みみっちい」感じが至るところに影を落とす。そんな風情を拾ってきて、レトロブーム、ミニマリズム、消費離れといった趣味性に落としこむ人もまたいる。まっすぐ良いものに目線が向かなかったり、謎の色褪せたフィルター越しにしか見てなかったり。いやぁ、私の中にも減さんがいるわ。むしろ減さん側だわっ、と、つくづく思いました。

 

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