
今回は福島県福島市、飯坂温泉にある「ほりえや旅館」の宿泊記を書いていきたい。

3月末。旅行で盛岡の街を丸2日歩き回ったあと、地元にリターンし、家には帰らず真っ直ぐここへやってきた。明治15年創業。今年で143年目を迎える古い旅館になる。地元民である私には、何度も前を通り過ぎた馴染み深い建物ではあるのだが、泊まろうとする意識が起きなかった。それが今になって泊まりたくなったのはどういうことだろうか。ともかく入ってみる。

宿泊施設と自宅の領分が曖昧なエントランスで、チェックインを済ませる。私はお金を払ってここへ溶け込みに来たのだという、目的意識のようなものを急に覚える。


そして、案内された部屋には「壱番」とある。どこか幸先のいい気がする。中に入れば、ひとりで過ごすには随分と広々した部屋だ。畳も新しく、隅々まで掃除も行き届き、居心地がいい。しかしこのやや珍妙なほどの部屋の広さ。かつて飯坂が「色街」であったことを物語ると想像すれば、気分が浮き立つ。


部屋の障子を引けば板張りの廊下が伸びている。階下からは夕餉の準備の音や香りが漂ってくる。私の部屋は3階。サッシ戸を開ければ夕景の通りが見下ろせる。少し寂しくなるほどの平穏な風景。隣室の客の会話がうっすらと聞こえてくるが、不可思議と意味を紡がない。ここでは匂いも音もほどけて揺蕩う。


部屋に戻り、気合を入れて浴衣を着、気合を入れて風呂に入りにいく。途中、「温泉むすめ」の飯坂真尋がのぼせて立っている。どうも、と頭を下げて慎重に風呂の扉を開ける。

湯船には、さすがは飯坂、湯温45℃超の湯が並々とたたえられている。入り方の指南として、まずは思い切って片足を沈ませる。するともう片方の足もすぐに沈ませられる。その状態で立ち尽くして、それから少しずつ体を沈ませていけば、すんなりとお湯に浸かることができる。おのが肉体の環境適応を信じよ。さすれば、さらりとした感触の湯質が体に染み渡るだろう。

風呂の帰りに汗を引かせたく、また通りを見下ろす。隣の共同浴場「鯖湖湯」からは、湯桶の音が、カラン、カラン、と控えめに響き、ツバメが家々を舞う。どこか遠くで子供が泣く声と、モーターか何かの回転音。市井の音の協奏曲めいた奥深さに耳を澄ませる。



それから、あれよあれよというまに夕餉の時間となる。運ばれてきたお膳から一品一品、こたつの上に置いて眺める。それから燗も一本つけて、いよいよこの旅館とすっかり馴染んだ心地となる。

食事中に宿の主人が来られて、三味線を見事に弾いてくださった。昔は大勢の芸妓が飯坂にいたが、今はゼロとのことだ。楽譜もない曲を、主人は人に師事して覚え、今ではこうしてひとり伝統を引き継がれている。三味線の保管の上での天敵は、暑さと寒さ、それと湿気らしい。それじゃあ、福島みたいな盆地にはまるで向かないじゃないですか、といって二人で笑った。


食後、散歩に行ってきますと告げてあたりをぶらつく。飯坂温泉の夜景に派手さはないが、ひとつひとつの光が柔らかい。ふわふわと、光から光へと釣られて歩いてしまうところがある。橋の欄干から飯坂の温泉街を見下ろせば、かつてほどの栄華はないとはいえ、古来、変わらず滔々と流れる摺上川に、淡く優しい光が伸びていく。今は今の良さを味わおうと思える。それは飯坂に限らない話だ。

戻ってくると、夜も更けて、いっそう暖かかな光を宿して旅館が出迎えてくれる。我が家に帰ってきたかのような安堵を覚え、玄関の戸を引く。