1.労働契約上の本質的な義務
労働契約法6条は、
「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。」
と規定しています。
要するに、
労働者は使用者の業務命令に従って労務提供しなければならない、
その代わりに、使用者は労働者に対して賃金を支払わなければならない、
これを約束し合うことによって労働契約は成立するという意味です。
このように労務提供義務と賃金支払義務は労働契約の本質的要素を構成します。法律上、判例法理上賃金が幾重にも守られているのは、労働契約上の本質的要素を構成しているからだと説明することもできます。
労働者側にとっての本質的要素が賃金請求権であるならば、使用者側にとっての本質的要素は業務命令権/指揮命令権になります。命令を聞いてもらえないのであれば、何のために契約を結んでいるのか分かりません。
そのため、故意的な業務命令不履行に対して裁判所は厳しい姿勢をとることが多いのですが、近時公刊された判例集に、事業への具体的な支障が認められないとして、これを理由に含む懲戒解雇の効力を否定した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令7.6.25労働判例ジャーナル165-32 学校法人新宿学園事件です。
2.学校法人新宿学園事件
本件で被告になったのは、C専門学校を設置する学校法人です。
原告になったのは、被告で経理主任として働いていた方です。被告から懲戒解雇されたことを受け、その効力を争い、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。
本件で解雇事由とされたのは、次の各行為であったとされています。
「原告は、令和5年9月27日、B理事長から、既に校長を解任されていたH(以下『H前校長』という。なお、解任の効力は別の訴訟において争われている。)に渡った校長職宛ての郵便物を取り戻して現在の校長に渡すこと及び当該郵便物の送り主が誰であるかなどを報告することを命じられたのに、これらの業務命令に従わなかった(以下『本件懲戒事由〔1〕』という。)。」
「原告は、令和6年2月10日、業務時間中に業務外の書面(以下『本件書面』という。なお、本件書面が業務外のものであるかは争いがある。)を作成した(以下『本件懲戒事由〔2〕』という。)。」
「原告は、令和6年2月10日、被告職員室において、F課長から本件書面を取り返そうとしてF課長を引き倒し、その際に被告の理事長補佐であるJ(以下『J理事長補佐』という。)の右手を引っかいた(以下『本件懲戒事由〔3〕』という。)。」
裁判所はいずれも懲戒解雇の事由としては不十分だと述べましたが、本日、注目したいのは本件懲戒事由〔1〕についての判断です。
裁判所は本件懲戒事由〔1〕について、次のとおり判断しました。
(裁判所の判断)
「原告は、令和5年8月頃、被告の郵便受付等担当の職員であるMに指示して、被告に送られてきたH前校長宛ての郵便物をレターパックでH前校長に送付した・・・。」
「原告は、令和5年9月27日、被告訴訟代理人同席のもとで、B理事長と面談をした。B理事長は、原告が退出する直前に、原告がH前校長に送付した郵便物について、被告訴訟代理人が『取り戻してください』『業務命令をしてください』と発言したことに続けて、『業務命令、はい』『業務命令だから』『行ったやつは、誰から来たかだけでも教えてね』と述べた。・・・」
「原告は、前記面談後、H前校長に対し、郵便物の返還を求めず、送り主を確認してB理事長に報告することもしなかった。」
(中略)
「前記認定のとおり、B理事長は、面談において、原告に対し、原告がH前校長に送付した郵便物について、同席していた被告訴訟代理人が『取り戻してください』『業務命令をしてください』と発言したことに続けて、『業務命令、はい』『業務命令だから』『行ったやつは、誰から来たかだけでも教えてね』と述べたものである・・・。このB理事長の発言は、直前の被告訴訟代理人の発言と相まって、原告に対して、原告がH前校長に送付した郵便物を取戻して現在の校長に渡すことを命ずるとともに、当該郵便物を取り戻すことができない場合は送り主が誰であるかを報告することを命ずる業務命令であると認められる。」
「そして、前記認定のとおり、原告は、これらの業務命令を受けた後、H前校長に対し、郵便物の返還を求めることも、送り主を確認してB理事長に報告することもしなかったものである・・・。この原告の行為は、業務命令違反であり、就業規則21条1号に反する行為として懲戒事由に当たるといえる。」
「もっとも、原告がH前校長に送付した郵便物の数量や内容は明らかでなく、原告が業務命令に違反したために当該郵便物の送り主が誰であるかが特定されないことによって、被告の事業に具体的な支障が生じたとはうかがわれない。」
「これに対して、被告は、被告に届く郵便物はダイレクトメールを除いて全て重要な書面であり、また、少なくともH前校長の解任を知らない当該郵便物の送り主に校長の交代を伝えることは重要な連絡であって、送り主が誰であるかが分からないこと自体が被告の業務上の混乱であると主張する。」
「しかし、郵便物の内容によっては事業に支障が生ずる程度が小さいものもあり得る上、校長の交代を関係者に広く周知することもできるから、当該郵便物の送り主が誰であるかが分からないことで直ちに被告の事業に混乱が生ずるとはいえない。したがって、被告の前記主張は、採用することができない。」
(中略)
「以上のとおり、原告について懲戒事由があると認められるが、各行為の態様等をみると、原告の業務命令違反によって被告の事業に具体的な支障が生じたとはうかがわれず、原告が本件書面を取り返そうとして行使した有形力の程度は強度のものではないといえる。そうすると、原告が、令和4年6月以降の業務命令違反等を懲戒事由として、同年11月に戒告の懲戒処分を受け、同年12月に降格の懲戒処分を受け、令和5年2月に懲戒解雇(後に出勤停止に変更)の懲戒処分を受けていたこと・・・、原告が懲戒事由となる各行為について反省の弁を述べたことがうかがわれないこと(弁論の全趣旨。なお、原告が郵便物の内容や有形力の行使の態様・経過について嘘を重ねているとまでは認められない。)を考慮しても、原告の各行為に対する懲戒処分として懲戒解雇は重すぎるといえる。」
3.故意的な業務命令違反であるからといって機械的には考えられなかった
代理人弁護士として経験してきた範囲で言うと、故意的な業務命令違反というのは、かなり危険な行為です。労働契約上の本質的な債務を履行しないと宣言するものであるため、解雇まで振り切れやすい行為類型の一つです。
本件の原告の方の業務命令違反も、故意的なもので、使用者側が懲戒解雇に踏み切ったのも、この点に主な原因があったのではないかと推察されます。
しかし、裁判所は、被告の事業に具体的な支障が生じたとはうかがわれないとして、懲戒解雇の効力を否定しました。幾ら労働契約の本質的な義務の放棄であるとしても、事業への具体的な支障が良く分からないような行為を理由とする懲戒解雇は行き過ぎだと考えたのではないかと思います。
業務命令への故意的な不履行はしないに越したことはないのですが、仮にして解雇されてしまった場合、使用者側の主張に反駁して行くにあたり、裁判所の判断は先例として参考になります。