1.精神疾患発症の予見可能性
過失とは予見可能性を前提としたうえでの結果回避義務違反をいいます。
つまり、過失責任を問うためには、加害者に予見可能性があったことを立証する必要があります。
この予見可能性ですが、結果それ自体の予見可能性を問うことができる場合、比較的話は簡単です。しかし、結果それ自体に予見可能性を問うことが困難な場合は、実務上少なくありません。
以前、このブログでも紹介したことがありますが、自殺の予見可能性はその典型です。心理的負荷(ストレス)を加えたとしても、全ての人が自殺するわけではありません。むしろ、自殺する人の割合は、自殺しない人よりも遥かに低いといえます。
このような状況のもと、裁判実務では、ストレスを与えた方に自殺に起因する損害まで帰責するため、予見可能性の対象をずらすための理屈が考えられてきました。例えば、富山地判令5.11.29 労働判例ジャーナル145-16 丸福石油産業事件は、
「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであり、うつ病への罹患やこれを契機とする自殺はその一態様であるから、使用者や代理監督者の注意義務違反の前提となる予見可能性の対象も、労働者による精神障害の発病や自死といった結果ではなく、そのような結果を生じさせる危険な状態の発生、すなわち当該労働者が、その心身の健康を損ねるような過重な業務に従事する状態であるというべきである。」
と判示し、自殺に起因する損害まで含めた賠償請求を認めました。
それでは、自殺に至らない精神疾患の発症の場合は、どのように捉えられるのでしょうか? 予見可能性の前倒しは、自殺事案特有の被害者救済のための法理でしかないのでしょうか? それとも、自殺の手前の現象として、自殺事案同様、予見可能性を前倒して考えることが許されるのでしょうか?
昨日ご紹介した岡地判令5.2.28労働判例1332-98 トワード事件です。
2.トワード事件
本件で被告になったのは、貨物自動車による運送業及び倉庫業等を目的とする株式会社です。
原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、製品の仕分け・検品やフォークリフトによる荷下ろし業務等に従事していた方です。長時間労働によって双極性障害を発症したと主張し、労災認定を受けた後、被告に対して損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。
本件の被告も、精神疾患発症の予見可能性を争いましたが、裁判所は、次のとおり述べて、予見可能性を認めました。
(裁判所の判断)
「被告は、原告の本件疾病の発症について予見可能性がなかった旨主張する。」
「しかしながら、前記・・・のとおり、長時間労働の継続等により疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なうおそれがあることは広く知られているところであり、精神疾患の発症はその一態様である。そうすると、使用者としては、上記のような結果を生じさせる原因となる危険な状態の発生自体を回避する必要があるというべきであり、事前に使用者側が当該労働者の具体的な健康状態の悪化を認識することが困難であったとしても、そのことだけで予見可能性がなかったとはいえないのであって、当該労働者の健康状態の悪化を現に認識していたか、あるいは、それを現に認識していなかったとしても、就労環境等に照らして、労働者の健康状態が悪化するおそれがあることを容易に認識し得たというような場合には、結果の予見可能性が認められるものと解するのが相当である。」
「これを本件についてみると、被告はシフトやタイムカードによって、原告の労働時間を逐一把握することができていたものであって、上記・・・の原告の時間外労働数からすれば、原告が、過度の肉体的・心理的負担を伴う勤務状態を継続していたことは容易に把握できたものといえ、被告において、このような勤務状態が原告の健康状態の悪化を招くことを認識し得たといえる。(TKC編注:『時間外労働数』は『時間外労働時間数』の間違いだと思われる。)」
「したがって、被告には、本件疾病の発症について予見可能性が認められる。」
3.自殺事案ではなくても前倒しが認められた
本件は自殺事案ではありませんでしたが、裁判所は、予見可能性の対象を、健康状態の悪化ではなく、労働者の健康状態が悪化するおそれがあるような就業環境だと判示しました。
丸福石油産業事件の趣旨からすると当たり前のようにも見えますが、これはそれほど当たり前ではありません。自殺事案は遺族が極端に悲惨な状況に置かれるためか、通常の事案ではみられないほど被害者寄りの判断がされることがあります。例えば、ハラスメントによる心理的負荷について言うと、生存している個人が損害賠償請求訴訟の中で問題視したら到底「強」と認められなかったであろう出来事が、自殺事案では強い心理的負荷を生じさせたものだと評価されることがあります。
そのため、予見可能性の前倒しが精神疾患の発症に留まる案件(自殺に至らない案件)でも妥当するのかは、気になっていたテーマの一つでした。本裁判例は、これを肯定したところに意義があり、実務上参考になります。