1.労使慣行の主張
長年に渡って維持されてきた労働者にとって好ましい事実状態が使用者から変更されそうになったとき、労使慣行が成立しているという反論を提示することがあります。
これは、
「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。」
と規定する民法92条を根拠にする主張です。一定の場合、慣習にも法的な拘束力が認められるため、慣行の成立は使用者の権限を拘束する根拠になります。
労使慣行の成立が認められるためには、裁判例上、
「①長期間にわたって反復継続して行われ、②労使双方がこれを明示的に排除しておらず、③当該慣行が労使双方(特に使用者側は当該労働条件について決定権または裁量権を有する者)の規範意識によって支えられている場合」
であることが必要だと理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕248頁参照)。
しかし、③の要件が厳格であるため、労使慣行の成立にかかる労働者の主張が認められることは、実務上、決して多くはありません。
このような状況の中、近時公刊された判例集に、賞与や手当の支給について労使慣行の成立が認められた裁判例が掲載されていました。横浜地判令6.12.26労働判例1328-5学校法人桐蔭学園事件です。
2.学校法人桐蔭学園事件
本件で被告になったのは、幼稚園、小学校、中学校、高校、中等教育学校、大学を持つ学校法人です。
原告になったのは、
被告の教職員で構成された労働組合(原告組合)、
被告と労働契約を締結している専任教員や非常勤講師の方
です。
賞与の減額や入試手当の廃止に理由がないとして、差額賃金や損害賠償を請求したのが本件です。
本件では賞与の算出方法や入試手当の支給についての労使慣行の成否が問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、労使慣行の成立を認めました(ただし、労使慣行の変更を理由に、結論として原告の請求は棄却されています)。
(裁判所の判断)
「労使間で慣行として行われている取扱い(いわゆる労使慣行)は、①同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われており、②労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していない上、③当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられ、特に使用者側における当該労働条件の決定権や裁量権を有する者が規範意識を有するに至っている場合(以下、かかる③の要件を単に「規範意識の要件」と略することがある。)には、民法92条により事実たる慣習として法的効力が認められるものと解するのが相当である。」
(中略)
・本件賞与算出方法に基づく賞与の支給
「前記・・・で認定したとおり、本件賞与算出方法に基づく賞与は、被告と原告組合との団体交渉により、被告の中学校及び高校の専任教員の年収を神奈川私学教職員組合連合に加入している他校の教員の年収の平均額を下回らないようにすることを目的として被告の提案により専任教員に支払われるべき年収の一部として支給することが決定されたものであり、その決定の経緯からみても長期間にわたり反復継続的に支給することが予定されていたということができる上、同方法に基づき、平成20年度に被告の事業活動収支が赤字となり、かつ、資金収支がマイナスになった以降又は中学校及び高校の専任教員の年収が神奈川私学教職員組合連合に加入している他校の教員の年収の平均額を上回ったとされる以降(原告組合の初代委員長を務めた証人Hは、平成12年頃には中学校及び高校の教職員の年収がほとんどの年齢構成で神奈川私学教職員組合連合に加入している他校の平均を上回っていた旨証言している・・・。)を含めて、平成6年から令和2年6月までの約25年にわたり、中学校、高校及び中等教育学校の全専任教員に対し、休職や懲戒処分に相当する事由がない限り、勤務成績等による区別なく一律に支給されてきたこと、本件賞与算出方法については、平成6年11月24日付け通達文書等により、賞与の具体的な算出方法が客観的に定められており、年齢別加算の金額を含め、一義的に明確である上、本件賞与算出方法上、被告の業績や財務状況により支給の有無や支給額が変動することは予定されておらず、平成6年当時の被告と原告組合との団体交渉においてもこれらの変動を前提としたやりとりがされた形跡は認められないこと、被告は本件措置以前の平成16年に一度だけ原告組合に対して収入減少を理由に賞与乗率の引下げを提示したことがあるものの、団体交渉の結果、これを撤回している上、それ以外の年については、特に事前の団体交渉なく、本件賞与算出方法に基づく賞与が支給されていることが認められ、これらの事情に照らせば、本件賞与算出方法に基づく賞与の支給が①長期間反復継続して行われており、②労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していない上、③労働者側である第1事件・第2事件原告個人らのみならず、使用者側である被告においても、同方法に基づき賞与を支給するとの規範意識を有するに至っているものと評価するのが相当であり、民法92条により労使慣行としての法的効力が認められる。」
・11万6000円の入試手当(監督)の支給
「前記・・・で認定したとおり、11万6000円の入試手当(監督)も、被告と原告組合との団体交渉により、被告の中学校及び高校の専任教員の年収を神奈川私学教職員組合連合に加入している他校の教員の年収の平均額を下回らないようにすることを目的として被告の提案により教員に支払われるべき年収の一部として支給することが決定されたものであり、その決定の経緯からみても長期間にわたり反復継続的に支給することが予定されていたということができる上、同方法に基づき、平成20年度に被告の事業活動収支が赤字となり、かつ、資金収支がマイナスになった以降又は中学校及び高校の専任教員の年収が神奈川私学教職員組合連合に加入している他校の教員の年収の平均額を上回ったとされる以降を含めて、平成6年から令和2年まで約25年間にわたり、基本的に中学校、高校及び中等教育学校の全専任教員に対し、一律に支給されてきたこと、その金額も定額であり、一義的に明確である上、平成6年当時の被告と原告組合との団体交渉においても、被告の財務状況等に応じて支給の有無や支給額の変動を前提としたやりとりがされた形跡は認められないこと、被告は本件措置以前の平成10年に一度だけ原告組合に対して入試手当(監督)の減額を提示したことはあるものの、原告組合が争議権を確立してこれを阻止している上、それ以外の年については、特に事前の団体交渉なく、入試手当(監督)として11万6000円が支給されていることが認められ、これらの事情に照らせば、11万6000円の入試手当(監督)の支給が①長期間反復継続して行われており、②労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していない上、③労働者側である第1事件・第2事件原告個人らのみならず、使用者側である被告においても、入試手当(監督)として11万6000円を支給するとの規範意識を有するに至っているものと評価するのが相当であり、民法92条により労使慣行としての法的効力が認められる。」
3.労働組合への提示=規範意識なしというわけではない
本件で個人的に興味深く思われたのは、被告学校法人側が、引下げや減額を労働組合に対して提示したことがある点です。
労働組合に提示されたり、団体交渉で議題になったりしたことは、使用者側の規範意識を否定する材料として使われがちです。これは、大雑把に言うと、
規範(ルール)になっているのであれば、変えようがないのだから、そもそも話合いを求める必要がない、
という理屈です。
また、団体交渉で使用者側に有利な提案が撤回・阻止されると、労働組合は交渉による成果として強調しがちです。勝ち取ったものを成果として強調するのは当たり前なのですが、ここで「ルールが曲がらなかったという当然の結果になっただけだ」という言い方ではなく、「交渉の結果でそうなった」という言い方をしてしまうと、
労働者の側でも固定的なルールとは見ていなかったのではないか、
という疑義を挟まれることになります。
このように労働組合への提示や団体交渉での議題化は、労使慣行を立証するうえで、かなり厄介な事実なのですが、本件の裁判所は上述のような論理は採用せず、労使慣行の成立を認めました。
労働組合に提示された回数が各1回しかないこと、撤回や阻止に追い込まれていることなどの事案としての特性はあるものの、裁判所の判断は実務上参考になります。