1.怪我や病気で働けなくなった時の生活
怪我や病気で働けなくなった労働者が生活費を確保する方法としては、
傷病手当金を受給する、
労災の休業補償給付を受給する、
という二つの方法が考えられます。
傷病手当金は、健康保険法99条1項の、
「被保険者・・・が療養のため労務に服することができないときは、その労務に服することができなくなった日から起算して三日を経過した日から労務に服することができない期間、傷病手当金を支給する」
という規定に基づいて健康保険組合から支給されます。
休業補償給付は、労働者災害補償保険法14条1項の、
「休業補償給付は、労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため労働することができないために賃金を受けない日の第四日目から支給する(以下略)」
という規定に基づいて政府(国)から支給されます。
この仕組みのポイントは、傷病手当金と労災(休業補償給付)が、二律背反のものとして設計されていることです。
上述したとおり、休業補償給付を受給するためには「業務上の負傷又は疾病による療養のため」であることが必要です。
傷病手当金の根拠法である健康保険法は1条で、
「この法律は、労働者又はその被扶養者の業務災害(労働者災害補償保険法・・・第七条第一項第一号に規定する業務災害をいう。)以外の疾病、負傷若しくは死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。」
と規定しています。このことから分かるとおり、傷病手当金は業務災害の場合には受給することができません。
それでは、業務上の災害なのか、そうではないのか(私傷病なのか)が良く分からない労働者は、どうすればよいのでしょうか?
一般論として労災の方が手厚い保護が受けられます。しかし、業務上/業務外の認定をするにあたっての調査に時間がかかり、手元に金銭が届くまでにはそれなりに時間がかかります。
他方、傷病手当金の場合、労災ほど手厚い保護は及ばないものの、業務起因性を認定する必要がない分、早く手元に金銭が届きます。
このような特徴があるため、手元に生活資金のない労働者が生活費を確保するにあたっては、
① 取り敢えず、労災を申請する、
② 労災申請していることを留保したうえで、傷病手当金を申請する、
③ 労災の受給が認められたら、それを原資に既受領の傷病手当金を返す、
④ 労災の受給が認められなかったら、そのまま傷病手当金を受け取り続ける、
という方法がとられることがあります。
ここで一つ問題があります。こういったスキームでの生活費確保に使用者が協力してくれない場合、どうすればいいのか? という問題です。
労働者が怪我や病気になっていて、労災なのか私傷病なのかが微妙な事案では、背景に労使紛争があることが少なくありません。労働者が「パワハラが原因で病気になった」と主張しているのに対し、使用者の側で「パワハラはなかった」とハラスメントの事実を争っているような場合が典型です。
このような場合、①、②を同時に行おうとすると、会社側から、
労災と傷病手当金の受給とは両立しない、
業務上の傷病ということで労災の申請がなされているのであるから、業務外の傷病にしか適用されない傷病手当金の受給を申請するというのは理屈に合わない、
ゆえに、傷病手当金の受給には協力できない、
と傷病手当金の受給手続に必要な手続への協力を拒まれることがあります。
こうした場合に、労働者側で対抗する方法がないのかというのが本日のテーマです。
この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令6.11.13労働判例ジャーナル158-24 N労務管理事務所事件です。
2.N労務管理事務所事件
本件で被告になったのは、
労務管理に関する相談等を目的とする株式会社(被告会社)
被告会社の代表取締役であった方(被告P8)、
被告Pの妻で副所長と称されていた方(被告P9)
です。
原告になったのは、被告会社に雇用されていた方6名です(原告P1~原告P6)。被告P8らからパワーハラスメントを受けたことを理由とする損害賠償等を請求する訴えを提起したのが本件です。
冒頭に掲げたテーマとの関係で問題になるのは、原告P6の請求です。
原告P6は、被告会社が傷病手当金申請手続に協力しなかったこと等を不法行為と構成して損害賠償を請求していました。当事者双方の主張は、次のとおりとされています。
(原告P6の主張)
「原告P6は、体調不良により、令和2年6月6日以降、休職し、同年7月末、被告会社に対し、傷病手当金支給申請書(以下『本件申請書』という。)の事業主記載欄の記入を求めた。被告会社は、遅くとも同年8月末までに、同欄の記入を行うべきところ、故意又は過失により、これを行わなかった。これにより、原告P6は、傷病手当金の支給申請手続ができず、傷病手当金の支給を受けることができなかった。」
(被告会社の主張)
「原告P6は、令和2年5月30日、被告会社を退職しており、傷病手当金の受給資格を有していなかった。」
「また、原告P6は、同一の疾病について労災申請しているところ、労災であれば、業務外の事由によるものであるという傷病手当金の支給要件を満さない。」
「そして、原告P6は、被告会社に対し、本件申請書の事業主の証明欄の記入を求めた際、就労不能開始日を同月21日と偽ったほか、過去に過大な通勤手当を不正受給したことから、傷病手当金の不正受給を疑われ、事実確認のための出社を求められたにもかかわらず、これに応じなかった。これらによれば、被告会社が事実確認が済むまで本件申請書の事業主の証明欄の記入を行わなかったことには正当な理由がある」
「さらに,被告会社は、同年8月4日、本件申請書の事業主の証明欄を記入し、原告P6に出社を求めたが、原告P6はこれに応じなかった。これによれば、被告会社が原告P6に本件申請書を返還しなかったことには正当な理由がある。」
「加えて、原告P6は、被告会社に対し、本件申請書の事業主の証明欄の記入を1回求めたのみで、健康保険法197条2項に基づく文書提出命令の手続もとっていないところ、このような原告P6が、被告会社に対し、傷病手当金支給申請手続への不協力を理由として、損害賠償を請求するのは、権利の濫用に当たる。」
傍線を付したとおり、この事件の被告は、原告が労災申請していることを傷病手当金の受給に協力しない理由としました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。
(裁判所の判断)
「健康保険の被保険者が傷病手当金の支給を受けるためには、就労不能期間及びその間における報酬の支払い状況等について記載した申請書を保険者に提出するとともに、これらの事項について事業主の証明書を添付しなければならないところ(健康保険法施行規則84条1項、2項)、事業主は、労働契約に付随する信義則上の義務として、被保険者に対し、事業主としての証明をするなど傷病手当金の支給申請手続に協力すべき義務があると解される。そして、前記アのとおり、被告会社は、原告P6から本件申請書の事業主の証明欄への記入等を求められたにもかかわらず、これに対応しなかったのであるから、この点について不法行為が成立する。」
(中略)
「被告会社は、原告P6は同じ疾病について労災申請をしているから、健康保険の傷病手当金の受給要件を満たさない旨主張するが、かかる労災申請が認められたといった事情は認められず、これをもって、原告P6が傷病手当金の受給要件を満たさないということはできないから、採用できない。」
(中略)
・原告P6の損害額
「前記・・・のとおり、被告会社は、原告P6の傷病手当金支給申請手続への不協力について不法行為責任を負うところ、これと相当因果関係を有する損害について検討する。」
「ア 傷病手当金相当額 67万2000円」
「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告P6の不就労期間は令和2年6月6日から同年8月31日までの87日間であるところ、傷病手当金の支給期間はその最初の3日間を除いた84日間である(健康保険法99条1項)。また、証拠(甲34)及び弁論の全趣旨によると、原告P6の同年6月(傷病手当金支給開始日の属する月)以前の12か月の標準報酬月額の平均は36万円であるところ、1日当たりの傷病手当金の額は、8000円(=36万円÷30×2/3)である(同条2項)。」
「したがって、原告P6が、傷病手当金の申請手続をした場合、受給できた金額は67万2000円(=8000円×84日)であり、これが被告会社の傷病手当金支給申請手続への不協力により生じた損害である。」
3.労災申請が認められない限り傷病手当金の受給への協力を要求できる
上述したとおり、裁判所は、申請が認められている場合はともかく、労災を申請していること自体は、傷病手当金の受給に協力しない理由にはならないと判示しました。
また、損害額として傷病手当金相当額を認定していることも注目に値します。健康保険組合を訴えれば良いのだから損害はないのではないか? といったややこしい議論がされた形跡はありませんが、損害項目に傷病手当金相当額が掲げられているのは、興味深く思います。
こうした裁判所の判断は、冒頭で述べた①~④の手法に親和的な判断であり、実務上参考になります。使用者から労災申請していることを理由に傷病手当金の受給手続への協力を拒まれた場合には、本裁判例を活用して行くことが考えられます。いかに深刻な紛争が背景にあっても、傷病手当金相当額を肩代わりさせられるくらいであれば、手続に協力する事業者の方が多いのではないかと思います。