1.退職後の旧職場とのトラブル
職場に対して何の不満もないのに仕事を辞める人は、それほど多くはありません。仕事を辞める人は、職場に対して多かれ少なかれ不満を持っていることが殆どです。
こうした方が職場を辞めた後、旧勤務先で引き続き働いている元同僚に対し、転職を勧めることがあります。これには現在の勤務先への転職を勧誘する場合も含まれます。
このような転職勧誘行為は、結構な割合で露見します。業界が狭くて引き抜いた事実が自然と伝わってしまうだとか、元同僚の忠誠心が存外高くて元同僚から旧勤務先に報告がなされるだとか、露見のパターンは様々です。
そして、露見すると一定の割合でトラブルが生じます。旧職場から辞めた従業員に対し、差止や損害賠償を請求するといったようにです。
この種の紛争は結構多いのですが、近時公刊された判例集に、転職勧誘行為と不法行為該当性との関係で目を引く裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日と紹介している、東京地判令6.9.24労働経済判例速報2577-7 ビットウェア事件です。
2.ビットウェア事件
本件で原告になったのは、コンピュータハードウェア・ソフトウェアの開発、製造、販売業務等を目的とする株式会社です。
被告になったのは、
原告の代表取締役を退任後、原告との間で労働契約を締結し、従業員として働いていた方(被告P1)、
被告P1の部下として原告の従業員として働いていた方(被告P3)、
IT産業に関するソフトウェア及びシステムの設計等を目的とする株式会社(被告会社)、
被告会社の代表取締役であった方(被告P4)
の4名です。
本件の原告は、被告らの競業行為について、
営業秘密を利用した不正競争行為である、
就業規則に定められている競業禁止規定に違反している、
などと主張し、損害賠償を請求する訴えを提起しました。
裁判所は、退職後の競業禁止規定の効力を否定したのですが、原告の請求には、一般不法行為法上の請求も含まれていました。本日、注目したいのは、原告の被告P3に対する請求部分です。
原告は被告P1や被告P3が自社の従業員の引き抜いて競業を行ったと主張しました。しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の被告P3に対する背求を排斥しました。
(裁判所の判断)
「被告P3は、退職後については、同条(就業規則36条、競業避止義務を定める規定 括弧内筆者)に基づく競業避止義務を負わず、また、労働契約に基づいて原告に対する誠実義務及び職務専念義務を負うものではない上、前記4で説示したとおり、被告P3がP6との取引について不競法2条1項7号所定の営業秘密を使用するなど秘密保持義務に違反する態様の営業活動を行ったと認めることもできないことから、被告P3において、原告を退職後に被告会社がP6から業務を受注し若しくはP6との間で契約を締結することについて関与し又は被告会社がP6から受注した業務に従事したことをもって、社会的相当性を逸脱した行為ということはできず、原告に対する不法行為があったということはできない。」
「また、被告P3は、P17に被告会社を紹介し、P17が原告を退社して被告会社に入社しているほか、その後、被告P3と共にソリューション事業本部で勤務していたP18、P19及びP20も原告を退社し、被告会社に入社しているけれども、何人も職業選択の自由が保障されており(憲法22条1項)、転職するか否かについては、最終的には各労働者がその自由な意思に基づいて決定すべき事柄であることを考慮すると、同僚等に転職を勧め又は転職先を紹介する行為が、直ちに、使用者に対する不法行為となるということはできず、その行為態様が、従来の勤務先の経営状態等について虚偽の事実を告知して執ように転職を勧めるなど、社会的相当性を逸脱し、極めて背信的方法で行われた場合に限って、不法行為法上の違法性が認められると解するのが相当である。そして、本件全証拠によるも、被告P3のP17らに対する働きかけの有無、時期、内容、態様等は不明というほかなく、同人らが原告を退職することを決意するに至った事情は明らかではない。そうすると、被告P3において、従来の勤務先の経営状態等について虚偽の事実を告知して執ように転職を勧めるなどの社会的相当性を逸脱した行為があったと認めることはできないから、P17らが原告を退社し、被告会社に入社したことについて、被告P3の不法行為は成立しない(最初に原告を退職したP17が退職を決意した理由は証拠上明らかではなく、その余の者についても、被告P3による積極的な働きかけがなくとも、P17が他社に転職しつつP6における業務を継続しているのを見て、転職を決意した可能性も否定できない以上、前記のとおり、被告P3が、原告在職中に被告会社のためにP6の担当者と協議するなどして、P6との間で、P17らが原告の従業員として行っていた業務につき、同人らが被告会社の従業員として従事することを内容とする契約を締結したことが原告に対する不法行為となることは別として、P17らが原告を退社して被告会社に入社したことについてまで、被告P3の不法行為責任を認めるには無理があるといわざるを得ない。)。」
3.背信的方法の例示、因果関係
本件の活用の仕方は二つあります。
一つは、行為態様との関係です。
裁判所は、違法性が認められる場合について、
「その行為態様が、従来の勤務先の経営状態等について虚偽の事実を告知して執ように転職を勧めるなど、社会的相当性を逸脱し、極めて背信的方法で行われた場合に限って、不法行為法上の違法性が認められる」
との判断を示しました。単なる転職勧誘行為が不法行為該当性を充足しないことは従前から意識されていたところですが、
「従来の勤務先の経営状態等について虚偽の事実を告知して執ように転職を勧めるなど」
といったように、背信性のレベルが例示されたところに意味があります。これは同種事案の処理にあたり参考になります。
もう一つは因果関係論です。
裁判所は、人が退職する理由は転職勧誘行為に限ったことではなく、積極的な働きかけがなくても、元同僚が転職先で働いているのを見て転職したくなることだってあり得るではないかという視点を示しました。
転職勧誘行為が捕捉されることは結構あるのですが、引き抜かれた労働者の転職理由まで旧勤務先に捕捉されることはあまりありません。退職する労働者が退職するにあたり旧勤務先を刺激することをストレートに言うことはあまりありませんし(ストレートに言って訴えてこられそうな場合は猶更です)、職場から離脱してしまうこともあって、引き抜かれた労働者の明確な退職理由は捕捉しにくいからだと思います。
引き抜き行為を問題視された場合に因果関係が弱点になることを示した点においても、目を引かれます。
裁判所の判断は、引き抜き行為を論難された場合の防御方法を考えるにあたり、実務上参考になります。