1.自由な意思の法理
労働基準法24条1項は、
「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。」
と規定しています。要するに、賃金から何某かの金銭を差し引くということは、基本的には許されていません。法令に定めがある場合や、過半数代表者との書面による協定がある場合など、例外的に許容されることがあるにすぎません。
労使協定で控除できる項目には解釈例規があり、
「購買代金、社宅、寮その他の福利、厚生施設の費用、社内預金、組合費等、事理明白なものについてのみ」
認める趣旨であると理解されています(昭27.9.20基発675号、平11.3.31基発168号)。
また、労使協定は罰則の適用を免れることができるというだけで、実際に賃金から何某かの費目の控除を行うためには、個別の合意や就業規則の定めなど、労働契約上の根拠が必要になります。
この個別合意の効力に関しては、最高裁判例があり、
「労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの。以下同じ。)二四条一項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁昭和四四年(オ)第一〇七三号同四八年一月一九日第二小法廷判決・民集二七巻一号二七頁参照)。」
と理解されています(最二小判平2.11.26労働判例584-6 日新製鋼事件)。
時々、賃金から社宅賃料や寮費が差し引かれている例がありますが、それは、こうした重層的かつ厳格なルールのもとでのみ許容されます。
近時公刊された判例集に、この賃金控除が自由な意思に反していると認定された裁判例が掲載されていました。ここ数日ご紹介させて頂いている、東京地判令3.10.14労働判例1320-70 ナルシマ事件です。
2.ナルシマ事件
本件で被告になったのは、販売促進用商品の企画、デザイン、製作、販売等を目的とする株式会社です。
原告になったのは、被告で勤務していたフィリピン国籍の男性労働者らです。
原告らは複数の問題をテーマにしましたが、その中の一つに、賃金からの寮費控除の適法性がありました。要するに、賃金から寮費を控除するのは法的根拠に欠けるから、差し引いた分の賃金を支払えというものです。
この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、賃金控除は違法だと判示しました。
(裁判所の判断)
「被告は,原告らの賃金から控除していた毎月6万円の寮費について,その内容につき原告らに対し説明した上で,原告らの同意を得ていたこと,また,寮費の給与からの控除については労使協定を締結していることなどからすれば,寮費の控除は適法である旨主張する。」
「労基法24条1項本文が定める賃金全額払の原則は,使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し,もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ,労働者の経済的生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものであり,賃金から寮費を控除するためには,同項ただし書の要件を満たす必要がある。また,労働者がその自由な意思に基づき賃金からの控除に同意した場合においては,その同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは,同意を得てした控除は同項本文に違反するものとはいえないものと解するのが相当である。」
「前記前提事実・・・によれば,被告には,賃金支払の際に,寮費等を控除して支払うことができる旨記載された被告と労働者代表Bとの間の本件控除協定書が存在することが認められる。」
「他方で,同協定書上労働者代表とされているBが労働者の過半数を代表する者として選出されたことを認めるに足りる的確な証拠はない。この点,被告は,本件訴訟が提起された後,被告従業員に対し,同協定書におけるBの労働者代表性に関する照会をしたところ,数十名の従業員が,Bが労働者代表とされたことについて異論はない旨回答したこと・・・から,Bの労働者代表性には問題はない旨主張する。しかし,被告による上記照会では,労働者代表の選出方法に関する事項はなく,その回答結果から,平成20年当時,労働者代表が適切に選出されたものと直ちに認めることはできない。加えて,前記認定事実によれば,被告が,エコ・スタッフを被告において就労させるようになったのは,平成23年頃からであることからすれば,平成20年当時,本件において被告が寮費に含まれると主張している各種費用及びその金額を前提として,上記労使協定を締結したとは考え難い。」
「したがって,本件における寮費の控除については,労基法24条1項ただし書が定める『労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合』という要件を満たしているとはいえない。」
「また,被告は,原告らが,寮費の控除について同意している旨主張するところ,確かに,原告らが署名した本件契約書第4項には,『渡航費用,アパート代,光熱費,保険,事務手数料は,会社が立替をする。』と記載され,第5項には,『給料と会社で立替費用の合計が毎月の給料となる。合計18万円となる』と記載されており,これらの記載からすれば,原告らは,渡航費用,アパート代,光熱費,保険料,事務手数料について,賃金から控除することについて了承していたようにも考えられる。しかし,同契約書第3項には『月給料6万円とする。』と記載されており,第3項から第5項までの条項を踏まえると,被告が,原告らの賃金から,渡航費用,アパート代,光熱費,保険料,事務手数料の立替金として,毎月12万円を控除することを意味するように読み取れるが,実際は毎月6万円の寮費を控除しており,本件契約書の内容に沿った控除はされていない。また,上記第4項に記載のある保険料や事務手数料が具体的に何を意味するのかは不明確である上,被告は,寮費には,上記第4項に掲げられた費用に該当しないアパートに備え付けられた各種備品の費用も含まれる旨主張しており,寮費の内容自体も本件契約書の内容と合致しないものである。この点,被告は,オリエンテーションにおいて,原告らに対し,アパートの備品に関する誓約書・・・を示した上で寮費について説明しているから,原告らは,寮費に上記備品の費用が含まれることについて合意していた旨主張する。しかし,原告X1は,上記誓約書は見たことない旨供述している。また,同誓約書は日本語のみで記載されており,日本語の読み書きができない原告らには容易に理解できないものである上,記載内容の冒頭部分には,各種備品について会社で用意する旨,エコ・スタッフの帰国前に,備品をチェックし,問題がなければ費用はかからない旨,管理者がチェックして問題があれば費用が発生する旨記載されており,これらの記載からすると,各種備品の費用は,基本的には被告が負担し,エコ・スタッフが壊すなどした場合には,その分の費用をエコ・スタッフが負担するというように読み取れるから,上記誓約書の記載内容からも寮費に各種備品の費用が含まれるとは認め難い。さらに,前記認定事実によれば,被告は,原告らに対し,寮費に含まれるとされる各費目の具体的な金額については説明しておらず,毎月6万円の寮費の控除が必要となる合理的理由について説明をしていない。」
「以上の事実を踏まえると,被告は,原告らに対し,寮費の内容及び寮費を控除する必要性等について一貫した明確な説明をしていないし,そのため,原告らも,寮費の内容及び寮費を控除する必要性等について十分に理解していたとはいえず,本件契約書に原告らが署名していたからといって,被告が主張する各種費用が含まれる寮費の控除について,原告らが自由な意思に基づいて同意していたとは認められない。」
「以上によれば,本件控除協定書は有効なものとはいえない上,寮費の控除につき,原告らの自由な意思に基づく同意があったとも認められないから,被告が原告らの賃金から寮費の名目で毎月6万円を控除していたことは違法であり,被告は,賃金として同額の支払義務免れないというべきである。」
3.日本語能力は十分か? なぜ6万円の寮費控除が必要なのか?
この事件で興味深く思ったのは、先ず、日本語能力についての指摘があることです。
外国人労働者は年々増加の一途をたどっていますが、その中には日本語能力の不十分な方も少なくありません。こうした労働者から日本語での書面が取り付けられている時、書面の証拠力をどのように評価するのかが問題になります。
考え方の一つに、
能力が不十分だろうが、内容の分からない書類にサインするはずがない、
即理解できなかったとしても、サインする前に内容は調べるはずだ、
調べてないのであれば、本当に理解できなかったのかは疑わしい、
サインされた書類がある以上、その効力は揺らがない、
というものがあります。
しかし、裁判所は、こうした考え方は採用していないように思います。日本語能力は同意が自由な意思に基づいているのかを判断するにあたっての考慮要素として指摘されています。
もう一つ指摘できるのは、寮費に含まれる費目の中身や、寮費控除が必要となる合理的理由についても説明をしなければならないという示唆がされている点です。
自由な意思による同意か否かを判断するにあたっては、使用者側から労働者側に対して十分な情報提供が行われていることが必要になります。
しかし、どのような情報をどの程度提供すれば意思の自由が確保されるのかについては、それほどの共通認識があるわけではありません。寮費の費目の中身や、控除を必要とする合理的理由まで説明が必要になるというのは、相応に高いハードルを科したものと評価でき、類似の事案で争って行くにあたり引用裁判例として活用できそうです。
読者の中には、
賃金控除の合意が否定されたとしても、寮費を労働者の負担にするという合意が存在する限り、あまり意味がないのではないか?
という疑問を持つ方もいるかも知れません。
しかし、寮費を労働者負担にするという合意の効力についても問題にできる可能性があるところ、
一旦賃金として支給を受けたうえ、使用者からの請求を受けた後に争える、
という立ち位置は、それ自体にも相応の意味があります。
書面と実態の乖離についての指摘も併せ、裁判所の判断は、賃金控除の問題に取り組んで行くにあたり、実務上参考になります。