1.一般従業員が受ける恐怖
普段、労働者側からの相談を受けていての実感ですが、一般労働者は上長の持っている人事権に強く委縮しています。しかし、上長は、自分の持っている人事権の強さに無自覚であることが少なくありません。
部下は冗談で人事権に言及されるだけでも「怖い」という感覚を持つのが普通です。権力(人事権)を持つ方は、このことに自覚的である必要があります。近時公刊された判例集にも、人事権を弄ぶような言葉が問題となった裁判例が掲載されていました。鳥取地判令6.2.16労働経済判例速報2551-3 労働判例ジャーナル148-26 A社事件です。
2.A社事件
本件で被告になったのは、
鳥取市に本店を置き、全国に展開してコールセンター事業等を営む株式会社(被告会社)
被告会社の執行役員兼法人部長として、B支店に勤務していた方(被告C 昭和58年生まれ)
の二名です。
原告(昭和61年生まれ)になったのは、被告会社のB支店に勤務していた方です。被告Cから継続的にセクシュアルハラスメントやパワーハラスメントを受け、精神疾患を発症し、休職を余儀なくされたなどと主張して、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。
裁判所は、セクシュアルハラスメントが行われたことを認めたうえ、次のとおり述べて、適応障害の発症との間の因果関係を肯定しました。
(裁判所の判断)
「前提事実・・・に認定した医師の診断内容に照らし、原告は、遅くとも平成30年10月22日、精神疾患である適応障害を発病したものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。」
「そして、被告Cの不法行為と前記発病の間の相当因果関係の存否については、前記発病が、既に認定した継続的不法行為を構成する被告Cの言動のうち平成30年10月22日より前のもの(被告Cの言動〔1〕ないし〔3〕)に起因しているか否かの検討を要すべきことになる。さらに、前記3(争点1)に検討したとおり、被告Cの言動〔1〕ないし〔3〕は、それぞれを個別にみても不法行為の成立を認めるに足りる違法性を有しているとはいえるが、発病直近のものである被告Cの言動〔3〕(9月誕生日会)を中心とした検討をするのが相当である。」
「そこで、改めて被告Cの言動〔3〕についてみるに、その具体的内容は前記・・・のとおりのもので、原告は、突然、乱暴な態様によって意に反する形で唇に接吻をされ、同一日のものではありながら複数の機会及び場所で行われた点においても執拗である。・・・加害者である被告Cは、直属の上司であったのみならず、本件投稿グループに人事権を示しての恫喝的ともいうべき投稿をしていたことに表れているとおり、容易に逆らい難いものとして、原告はそれら複数回の機会において異議や苦情等をいうこともできなかったとみられる。そのような中、被告Cにおいて、会食の参加者であった同僚に対し、『(原告に対する接吻を)お前もやっていいよ』等との原告の人格を殊更軽視し、これを貶める言葉が投げかけられたというのであり、かかる被告Cの言動〔3〕によって原告が受けた心理的負荷の強度は、労災認定基準のいう『強』に当たると解するのが相当である。加えて、既に認定説示したとおり、被告Cの言動〔3〕は、継続的不法行為を構成する言動の一つであるところ、それに先行する被告Cの言動〔1〕〔2〕(4月出張及び8月誕生日会)がある点を踏まえて原告に対する継続的なセクハラがされていたという経過についても、原告の心理的負荷の強度を『強』と解することの相当性を裏付けるものといえる。」
「そして、このような被告Cの言動〔3〕は、前記アに認定した原告の精神疾患発病日(平成30年10月22日)からみて、その発病前6か月以内の間にあった心理的負荷の強度を『強』とする出来事にほかならない。被告Cの不法行為以外に、本件証拠上、原告が精神疾患の発病に結び付くほどの心理的負荷を受けていたこと、原告の個体側要因の存在をうかがわせる事情が的確な証拠によって認定できないことを併せ考慮すれば、原告は、被告Cの不法行為を構成する言動(被告Cの言動〔3〕)によって適応障害を発病したものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。」
3.人事権を示唆される恐怖は大きい
上記で問題になっている「被告の言動〔3〕」というのは、次の事実を言います。
(裁判所の事実認定)
「被告Cの言動〔3〕(9月誕生日会)に関連する事実」
「被告Cは、平成30年9月3日から同月7日にかけて、同月○日が自身の誕生日であることを念頭に置きつつ、本件投稿グループ上に次のとおりの投稿をした(なお、『■』部分には被告Cの部下の氏名等が記載されている。)。」
「9月3日『いやーberth day week始まったなー 1発目は■がしてくれたわ』」
「『既読つけてる13人死ね』、『広島支店はどうやら俺の人事権の恐ろしさを知らんみたいやな』(いずれも上記投稿に対する返信がないことを前提としたもの)」
「9月4日『今日は■、■、■が俺の祝いをしてくれてるよ!』、『明日は広島支店だな』、『毎日祝ってもらえて幸せだなー』、『明日はどんな日になるかなー』」
「9月5日『さすが■だな!センスがいい!ありがとう!』(同投稿に続けて誕生日プレゼントの写真を掲載)」
「9月6日 部下から贈られた複数の誕生日プレゼントの写真を投稿」
「9月7日『昨日は■&■がお祝いしてくれました!』、『本当にいい誕生日有難うございます!Cは幸せです!!』(同投稿に先立ち誕生日会の会食の様子と贈られた複数のプレゼントの写真等を掲載)・・・」
「被告Cは、平成30年9月上旬頃の業務時間中、原告に対し、他の部下らは誕生日会を開いてくれているが原告は誕生日会を開いてくれないのか、同月10日であれば予定が空いている等と述べた。」
「原告は、自ら被告Cの誕生日会を開催したいと思っていなかったが、前記・・・の投稿の状況をみて、これを開催せざるを得ないと考え、了承する旨の返答をした。」
「もっとも、原告は、被告Cと二人きりでの会食の機会にセクハラ被害を受けることを懸念して、同僚の女性従業員及びH(以下『H社員』という。)に対し、被告Cと二人で会食に行くのは辛いので一緒に来てくれないかなどと依頼し、H社員の了承を得た。」
「その後、原告は、会食場所となる飲食店を予約した。・・・」
「原告、被告C及びH社員は、平成30年9月10日午後7時30分頃から同日午後9時30分頃までの間、原告が予約した飲食店で会食をした。」
「その後、被告Cは、同日午後9時30分頃、上記飲食店を出てビル1階に降りるため3人でエレベーターを待っていた際、突然、原告の顔を両手で掴み、その唇に接吻をした。」
「H社員が被告Cの上記言動をみて驚きの声を上げたところ、被告Cは、原告に対し、『俺らの仲やもんな』等と発言するなどした。この際、原告は、H社員のいる前で被告Cに恥をかかせるわけにはいかないと考えの下、拒絶の意思等を示すなどはしなかった。・・・」
「原告、被告C及びH社員は、前記・・・の後、駅方面に徒歩で向かっていたところ、被告Cは、その道中の路上で、突然、原告の顔を両手で掴み、その唇に接吻をした。・・・」
「被告Cは、前記・・・の後、原告及びH社員に対し、二次会として道中にあるバーに赴くことを誘った。原告は、二次会に参加したいとの気持ちはなかったが、上司である被告Cの誘いを断るわけにはいかないと考えて了承し、同日午後11時頃まで、被告C及びH社員とともにバーでの飲食をした。」
「その後、被告Cは、バーを退店して駅方面に向かう路上で、突然、原告の顔を両手で掴み、その唇に接吻をし、さらに道中で4回程度、同様の行為をした。また、被告Cは、原告に接吻をした際、H社員に対し、『お前もやっていいよ』等と発言するなどした。・・・」
脈絡からして、被告Cとしては「俺の人事権の恐ろしさを知らんみたいやな」という投稿を、自分の誕生会に関する冗談として行ったのではないかと思われます。
しかし、この種の投稿を冗談だと思っているのは当の本人だけで、部下の受け止め方は全く違います。一般の労働者は、こうした発言を聞くと「怖い」と感じます。どのような人事権の行使をされるか分からないと不安に思います。人事権の行使には広範な裁量が認められているため、その不当性を問題にすることは一般的に困難です。腹の中に不当な動機を秘めたまま(表に現れないようにして)、どのような意趣返しをされるか分からないと思います。
上記のような言動から労働者が「容易に逆らい難い」状況にあったとする裁判所の判断は、上司-部下の関係性を正確に捉えた適切な判示だと思います。
ハラスメント事件との関係では、被害者側の事件ではなく、加害者側の事件も受けていますが、上司には自分の持つ権力性に常に自覚的である必要があります。