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近代競馬の成り立ちその1~日本競馬ができるまで~【コラムその165】

世界で唯一人間と人間以外の生物が共闘するスポーツ、それが競馬です。

特に日本の競馬は世界最大規模であり、また馬術でもオリンピックメダルを獲得するなど大きな存在感をして示しています。

 

今回はそんな競馬の歴史、特に日本競馬の成り立ちについて調べていきます。

1.古来より存在した古式競馬

日本における競馬の起源をたどると日本書紀において馬の走りくらべをしたと記されており、飛鳥時代に競馬の原型があったことが分かっています。

 

この頃の競馬は神事としての側面が強く宮中行事として行われていましたが、同時に軍事にも応用できる実用的な面もありました。

そのため何かとかこつけて競馬を行い、権威づけに使われるなど政治的に利用されていたようです。

 

京都の世界遺産の一つ上賀茂神社では、競馬会神事という古式競馬が現在に至るまで受け継がれています。

もちろん、馬券を買うことはできません。


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2.ヨーロッパ競馬の歴史

一方、もちろん世界でも馬の家畜が始まったころから競馬は行われてきました。

古いものでは古代ギリシャにおいて、騎手が二輪車を馬にひかせるスタイルで行われたという記述があるそうです。

 

16世紀ごろにはイギリスで世界初の競馬場であるチェスター競馬場が作られ、金銭や名誉をかけた競馬が行われるようになりました。

当時の競馬は貴族のたしなみという側面が強く、その傾向は現在のイギリス競馬にも受け継がれています(エリザベス女王が大の競馬好きだったことはあまりにも有名です)。

 

それからはフランスやイタリア、ドイツでも競馬が開催され、ヨーロッパ中に広まっていきました。

イギリスの植民地であったアメリカにも17世紀ごろ競馬が伝わり、南米やオセアニアにアフリカ、そしてもちろんアジアへと広まっていきました。

 

競馬は現在60以上の国で行われており、れっきとした世界規模のスポーツとして親しまれています。

参考文献

pacalla.com

 

3.日本競馬の歴史

日本に西洋式競馬が持ち込まれたのは江戸幕府開港の翌年、1860年のこと。

横浜の元町で初めて開催され、1866年には日本初の本格的な競馬場である根岸競馬場が作られました。

 

ちなみに根岸競馬場の跡地は森林公園になっており、根岸ステークスとしてレース名にも残っています。

根岸ステークスといえばブロードアピール伝説のレース。


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その後、日本の競馬は中央競馬地方競馬でそれぞれ発達していきます。

この二つは形式こそ似ているものの、源流が違う全く別々の競馬なのです。

 

・中央競馬

中央競馬のきっかけは、日清戦争・日露戦争で日本軍馬が西洋軍馬に比べて大きく劣っていた事実が判明したことでした。

日本競馬の発展は、軍事力強化が大きな目的だったのです。

 

当時から賭博行為は違法ではありましたが、軍馬育成のためには資金源も確保しなければなりません。

そんなわけで、日本政府は馬券の発売を「黙許」することになりました。背に腹は代えられない、ということですね。

 

更に東京競馬会が成功したこともあって、日本全国に競馬団体が乱立しました。

同時に政府は入場料、馬券ともに高額設定とし、競馬場をヨーロッパにならった上品な場とすることを目指しました。

 

しかし団体が乱立したために統率が取れず、軍馬育成の目的だった競馬団体は利益を追求するようになり、競馬場はあっという間にヤクザが出入りする治安が悪い場所になりました。

そのため世論の競馬反対の流れを止められず、わずか2年で馬券の販売は停止されました。

 

こうして競馬は、「馬券は販売できないが軍馬育成に必要」という微妙な立場で続けられることになりました。

とはいえ世の中的に軍馬の必要性が高まってくると、そんな悠長なことは言っていられなくなっていきます。

 

そして1923年馬券の販売が再開されました。

更には1936年、全国の競馬倶楽部を統合し日本競馬会が創設されました。

 

太平洋戦争開始後も軍馬育成の目的で競馬は続けられましたが、戦況が悪化してくると競馬場は軍事目的で利用され競馬は中止されました。

結局、戦時中は能力検定競走という名目でわずかに競走が行われる程度でした。

 

戦後の1946年に競馬が再開されましたが、今度の目的は「畜産業の復興」および「インフレ対策」と戦前とはまったく事情が変わっていました。

 

しかしこれはGHQに独禁法違反だと怒られ日本競馬会は解散。

国営競馬に切り替わりましたが、1954年に日本中央競馬会が誕生。これが今に至るJRAのはじまりです。

 

・地方競馬

西洋式競馬が持ち込まれたころ、日本各地には祭典競馬と呼ばれる日本古来の競馬が残っていました。

そんな中で文明開化の象徴として、西洋式競馬が祭典競馬に代わって日本全国で行われるようになりました。

 

1910年に娯楽のための競馬が法的に認められると、1923年には馬券の販売も認められました。

しかし競馬場が過剰なまでに増加するなどの問題を引き起こしたため、政府の統治下におかれることになりました。

これが今に至る地方競馬の源流となっています。

 

そんな地方競馬ですが、理由もなく認められたわけではありません。

その目的はやはり「軍馬育成」でした。

 

そのため地方競馬にも売り上げの一部を馬の改良に充てること、出走を内国産馬に限ること、といった制限が課されていました。

 

しかし第二次大戦が終わると、地方競馬は法的根拠を失ってしまいました。軍馬を育成する必要が薄れたからです。

そこで行われたのが闇競馬でした。

 

すなわち地方競馬を開催できる法律はなかったのですが、地元の有力者や競馬関係者、そして反社会的勢力、さらにはアメリカの進駐軍までもが闇競馬を開催したのです。

 

もちろん闇競馬は違法な競馬ではあったのですが、皮肉なことに闇競馬によって競馬人気の高さも証明されました。

そんなわけで無法地帯であった地方競馬は1946年地方競馬法が施行され、いよいよ復活を遂げることになります。

 

しかしこちらもGHQによって独占禁止法に違反すると怒られてしまったため、中央競馬と同じく地方競馬も各都道府県に開催をゆだねることになりました。

こうして現在まで続く地方競馬が確立されていったのです。

 

4.まとめ

以上、近代競馬の成り立ちについて調べてきました。

人が自然とかけっこをして競うように、馬を走らせて速さを競うのもまた自然な欲求なのかもしれません。

 

そして日本競馬の成り立ちにおいて欠かせないのは「戦争」であることも間違いありません。

それは戦争と馬が切っても切れない関係だったことを示しています。

 

これからの時代の競馬は、馬の速さを競うだけの純粋なスポーツであることを心から願います。

地方競馬について解説した後編はこちら。

sportskansen.hatenablog.jp

 

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